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【10290】共依存について ペレの休日 05/2/11(金) 6:42
┣ 【10291】Re(1):共依存について toku 05/2/11(金) 8:43
┃┗ 【10334】Re(2):共依存について ペレの休日 05/2/12(土) 5:06
┣ 【10294】Re(1):共依存について リンダ 05/2/11(金) 10:05
┃┗ 【10335】Re(2):共依存について ペレの休日 05/2/12(土) 5:17
┗ 【10297】Re(1):共依存について どろ 05/2/11(金) 10:36
 ┗ 【10336】Re(2):共依存について ペレの休日 05/2/12(土) 5:32

【10290】共依存について
 ペレの休日  - 05/2/11(金) 6:42 -

引用なし
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   ≪厳しいアドバイスもお願いします≫
≪男性≫
≪20代≫

 共依存というのは病気の一種なのでしょうか?
 自分を犠牲にしてまで、人のためにあれこれと手を尽くすのは心の病でしょうか?
 もしそうだとすると、善人ほど病気でしょうか。
 極端な話、イエス・キリストはかなりの共依存者なのでしょうか?
 
 まったくそうは思わないのですが・・

 それとも利己主義、個人主義が一般化しているから、利他主義が病なのでしょうか?
 もし、共依存が一般化していたら、利己主義が病なのでしょうか。
 
 もしそうならば、時代の価値基準で、心の病かそうでないかが決まるような気がするのですが・・


≪規約同意済み≫

【10291】Re(1):共依存について
 toku  - 05/2/11(金) 8:43 -

引用なし
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    はじめまして。


 共依存ということが、最近ヤフーのニュースに載ってるのを見たことがあります。何かの映画のことで、電話が殺到しているだとかで、そのことが注目されているのだと思われます。私も、そのニュースを見るまで、その「共依存」という意味すら知りませんでした。そのニュースを見た日から、共依存という事を私も少し調べてみました。どうやら、常識的には病気の一種のようです。それは、いままでの社会一般的な生き方という枠の中からそれを見たときに、普通とは掛け離れた思考形態であるから、それはオカシイということで、病気であると決め付けているような実態がこの世界にあるのだと感じました。


>まったくそうは思わないのですが・・

私も、同じように思っています。


 社会常識というものが、永遠不変なものであれば、それらの内容は最高の法則なのでしょうが、しかし、実際には、時代によって変わったり、場所によって変わったり、国によって違っていたり、人によって違ったり、年齢によって違ったりと、居場所などが変わるだけですぐに変わるものは、人間が作り出したもので、自然の法則あるいは宇宙の法則と呼ばれるものとは、ずいぶん掛け離れた物となっているのでしょう。私達が、これから先、新しい世界を築いていくためには、あらゆる出来事、物、人、事、考え方などなど、判断や決断するときに自分の中で基準を設ける対象が、場所によって変わったり、国によって変わったり、時代によって変わったり・・・・・というようなものに合わせていては、道を見失ってしまうのです。


 そうならないためにも、どんな場所であっても、どんな国であっても、どんなときであっても・・・・・絶対に変わることのない法則、いわゆる自然の法則あるいは宇宙の法則と呼ばれる真実というものを、しっかりと知っている、身に付けている、感じていることが必要になってきます。そのことを大切にして、これから先、生きていくことが大変重要になってきます。色んな事がこれからも起きるでしょうが、なぜ、どうして、どうすれば、と考えるときに、しっかりと永遠不変の法則の枠から見るようにしていく事が大切であります。絶えず変わるような基準の枠から見ていては、時間や場所などが変わっただけで、すぐに以前判断した事が役立たずになっていたり、時代遅れになっていることになるのです。すると、自分の生きる上での方向性というものの基準を見失って、自分は今どこにいるのかがわからなくなるような感覚になることもあります。


 例えば、どこか遠くへ出かけるときでも、自分の住んでいる家が動かない場所に建っているから、しっかりと、自分の家に帰ってくる事ができるのです。しかし、もし、自分の住んでいる家が、動いている船の上や、なにか乗り物など(ありえませんが)、そういった動く場所に建ててあったとしたら、旅から帰ってきたときには、もうその場所には家がなくなっていて、どこかへ行ってしまっているような感覚になるのです。だから、しっかりと、真実の基準をもって生きていくことがとても大切な事と感じます。


>もしそうならば、時代の価値基準で、心の病かそうでないかが決まるような気がするのですが・・

まったく、その通りであると私も感じています。


 これは共依存に限った事ではなくて、ありとあらゆる出来事や社会の常識といわれているもの、こと、考え方、受けてきた教育、そうした世の中の色んな事がそうしたものの基準で間違った解釈をされていることも多くあるということです。だから、テレビや新聞でこれこれこう言っていたから、正しいんだとか、誰々がこうこう言っていたから間違っていないんだと捉えるのではなく、自分の心の中にある基準から物事を見て感じていくようにすることが大切であると感じています。そして、何事にも決め付けるのではなく、常に問題意識をもっている状態をもち、時々以前判断したとこを改めて考えて、修正するひつようがある場合は、心の中でそれを修正して、確信できるものは確信して、自分の中で、本当の真実というものを絶えず見つけていくようにしていけたらよいかと感じます。


 あなたは、そういった意味で、十分に自分の心の中で真実を追求しながら生きて行けてるように思われます。これからも、あなたがここに投稿したように、「こういった捉え方は果たして本当に良いのだろうか」、といった感覚を忘れないで、自分の心と常に対話しながら、今まで通り生きて行ければ良いかと感じます。
≪規約同意済み≫

【10334】Re(2):共依存について
 ペレの休日  - 05/2/12(土) 5:06 -

引用なし
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    ありがとうございした。

 大変励まされました。

 まだまだ勉強の足りない未熟者ですが、前進したいと思ってます。

≪規約同意済み≫

【10294】Re(1):共依存について
 リンダ  - 05/2/11(金) 10:05 -

引用なし
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   ▼ペレの休日さん:

> 自分を犠牲にしてまで、人のためにあれこれと手を尽くすのは心の病でしょうか?
> もしそうだとすると、善人ほど病気でしょうか。
> 極端な話、イエス・キリストはかなりの共依存者なのでしょうか?

例えば、相手に尽くすことで、自分の存在意義や存在価値を見出そうとしてしまうことが依存症の一つの表れ方なのだと思います。自分の存在価値を確認するために、尽くす相手無しではいられない状態なので、相手に依存している、ということなのだと理解しています。従って、行動や行為そのもので、依存症かどうかを判断することはできないのだろうと思います。

> もしそうならば、時代の価値基準で、心の病かそうでないかが決まるような気がするのですが・・

そういうこともあるのかもしれません。特段、問題行動とされていなかったことが、後に問題行動と理解されるということもあるのかもしれません。

一方で、価値基準、というよりも、心理学が発達したため、とも考えられるのではないでしょうか。おそらく、まだ解明されていないことが多くあって、解明されていく過程で、今まで名もなかった状態を○○病とか○○症、というふうに呼ぶようになった、ということもあるかもしれません。体の病気と一緒です。

【10335】Re(2):共依存について
 ペレの休日  - 05/2/12(土) 5:17 -

引用なし
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    なるほど。
 見返りを求めるか否かの違いですね。

 ありがとうございました。
≪規約同意済み≫

【10297】Re(1):共依存について
 どろ  - 05/2/11(金) 10:36 -

引用なし
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   ▼ペレの休日さん:

> 共依存というのは病気の一種なのでしょうか?
> 自分を犠牲にしてまで、人のためにあれこれと手を尽くすのは心の病でしょうか?
> もしそうだとすると、善人ほど病気でしょうか。
> 極端な話、イエス・キリストはかなりの共依存者なのでしょうか?

キリストさんは「汝らのせいで自分は犠牲になった」と
誰も責めてはいませんよねぇ。マザー・テレサも「私は
世界の犠牲に
なってる!」と怒りまくってませんよね。共依存症とは
「人に必要とされる必要」を抱えて、それが思い通りに
ならずに、怒ったり悲しんだりしているわけで、表面に
現れた「誰かに尽くす」等の行動がいけないとか病的
とかではないのです。内面の問題であり、生きづらさの
課題です。私は病気というよりも哲学や生き方の問題だと
思います。

もちろん、こういった生きづらさから脱出できずに、
精神が疲弊して鬱症状になったとき、その症状は
病気といえるでしょう。

> もし、共依存が一般化していたら、利己主義が病なのでしょうか。

「人に必要とされる必要」を満足させるために、人に
懸命につくして評価を得ようとするとしたら、これは
利他主義でしょうか利己主義でしょうか。行動は利他
主義にみえますが、心の中は実は自分の寂しさで一杯
なのです。

誰かに懸命に尽くして思い通りにならなかったとします。
「私は自分の信念にしたがってこれだけやった。よしと
しよう」と自己評価ができればいいですが、共依存の
課題を心に抱えていれば「これだけしてやったのに!」と
人を責めるか「私はダメなんだ…」と自分を責めます。

> もしそうならば、時代の価値基準で、心の病かそうでないかが決まるような気がするのですが・・

現代日本社会そのものが、とても共依存的だと思います。
日本風の夫婦関係、親子関係、企業と社員…共依存的
傾向が強いのは確か。共依存は依存症回復の現場から
生まれてきた概念です。一部では、これを精神病理に
組み込む動きもありますが、この言葉に惑わされずに、
自分で自分を決めて納得しながら生きていくための、
示唆として受け取っていればよいと、私は思います。

≪規約同意済み≫

【10336】Re(2):共依存について
 ペレの休日  - 05/2/12(土) 5:32 -

引用なし
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    なるほど。
 利他性が未熟な段階なものが共依存ということでしょうか。

 勉強になりました。
 ありがとうございました。
≪規約同意済み≫

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