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≪厳しい意見はご遠慮ください≫
≪女性≫
≪16〜19歳≫
私の両親は7年前、自分が小学6年の頃に離婚しています。理由は、車の営業マンである父が顧客の肩代わり借金などを抱え込み、ええかっこしいで考えの甘い父はぎりぎりになるまで誰にも言わず、皆が問い詰めたところその時には知人親戚サラ金含め5000万以上の負債を抱えていたんです。親戚中にばれる2年ほど前、片鱗を母に言っていたのか…少しでも工面しようと母は朝3時に起きスーパーの裏仕事をし、その後医療検査会社の回収業務のパートを夜9時までし、その後ホテルのベットメイキングをするという、睡眠時間の無い働きづめの2年を送っていたんです。
そして父はぎりぎりまで工面しようと命を削った母のその努力を泡にするように、遅すぎる決断、自己破産をしました。母は、破産者の妻でいたくない、と離婚をしました。でも、嫌いあってではなかったので、父の破産の免責が終わる7年後くらいにはまた一緒に住もう、祖父や祖母のこともあるし、という考えでいました。
先日、母は父を問い詰めたそうです。ハッキリしない態度、はぐらかそうとする姿勢。母は父に、もしこの場でイエスかノーか、いえないんだったら、私はイエスと捉えて自分の親(私の祖母)に電話するよ、と言ったそうです。
とうとう白状しました。父は、すでに他の女性と籍を入れ、子供までいるというのです。しかも、40にもなって出来ちゃった結婚、相手のことはあまり好きでもない、しかも相手の女性は×1で脳症を持つ4歳の子供を持っている生活保護を受けていた人でした。もともとお金にも時間にも本当なルーズな人でしたが、女にもルーズだったなんて。ぎりぎりまで決断しない父、籍を入れたのも子供が生まれる2日前だったということです。
愕然としました。母の父を助けようとした様々な行為は全て無駄になりました。この話をバイト先で電話で母から聞き、号泣しました。軽率な父、許せないけれど恨むとかそういう感情は一夜明けた今でも持っていません。殺したいとも思いません。父は母から「縁を切る。子供二人とも(私と兄)、あなたが自分から捨てたものだからね」といわれた途端、泣き崩れたそうです。
「私がばかだった。こんなにどうしようもない情けない、自分を制御も出来ない男の事を7年も、しかも途中からそうやってかまどを持っていたなんて露にも思わず庇い続けて、・・・今まで私は、あなたに子供たちの学校のお金の事やなんかは言っていたけど、そういう、女とかそういう関係の事について嫉妬というのを一度も表に出さなかったよね。あなたがやったことを許せるようには子供二人を育てた覚えは無いから」と母は、今まで何があっても崩れなかった自信をこの時全て失い、人生を振り回されてしまうほど見る目がなかったのかと震えて泣かさったと言ってました。
父の不幸な再婚の事を知っているのは、父方の祖母と祖父、そして私達家族3人だけです。父方の親戚には一切言ってないそうです。恵まれず、愛されず、お祝いを貰うわけでもなく誰からも祝福されないその赤ちゃんも、これから先好きでもないと思われて父と一緒に居なければならないその女性も、いきなり母の事を好きでもない父が出来てしまった4歳の障害を持つ子も、70を過ぎてまで息子に振り回され続けて今回も寝込んでしまった祖父と祖母も、一生を振り回されていつも満ち溢れていた自信を崩されて震えて泣いた母も、みんな可哀相で哀れで・・・
そして私は、人生において何度も自分の優柔不断さと後先の考えなさ、考えの甘さのせいで破滅して愛してもない女性を情で捨てることが出来ずの結婚をしてしまい、母と私と兄をも、全て失った父も酷く哀れで可哀相でなりません。年金とか保険料とか払ってないって言ってたから、しかも年頃の私や兄という、子供を一度に無くして、全てを失ってしまった父がこれからどうなってしまうのか。私は父が大好きです。大好きでしたし、前にも書いたように嫌いにもなれません。楽しかった思い出が多すぎて、あの優しい人が老いてどうなってしまうのか、考えただけで不幸で、絶望で、涙が止まりません。そして、2週間前ほどにかかってきた、あまりにも弱弱しい声をしていた祖母の電話の、その理由が解って、更に涙が止まりません。私がアルバイトを始めたと聞いて、「そんなに大きくなったんだねぇ・・・」と、本当にか細い声で話していた祖母。きっと居間で、祖母と祖父、呆けた様に座っているのが目に浮かんできます。
みんな可哀相過ぎます。悪いのはどうやって考えても父です。でも、父も哀れです。今私は何をしていても涙が止まりません。なぜこんなに辛い思いをしなくちゃならないのか・・・今のままでは息をするのもままなりません。少しでも気を紛らわす方法を教えてください。お願いします。
≪規約同意済み≫
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