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≪厳しいアドバイスはご遠慮ください≫
≪女性≫
≪20代≫
私はいつも我慢していると思います。自分の理想に追いつきたいと思います。一つ目に、おしゃれをして自身をつけたい。でもおしゃれをするためにはお金が必要。お金を得るためには仕事をしなければならない。でも私にあった仕事がなかなか見つからない。むしろ私は仕事をすることにおびえている。私は人目を気にせずにただ黙々と、あることに取り組みたい。人を傷つけることは最小限にしたい。好きなことをして、人を幸せな気分にして、そして自分も幸せになりたい。二つ目に、私は絵を描きたい。白いキャンバスに、やさしくて情熱的で元気になる絵を描きたい。天気のいい日に、外に出かけて絵を描いてみたい。公園や、山の上、草原、道端。自信がついたら、本当に出来ることならば、個展を開いて一人でも多くの人に見てもらいたい。三つ目に、私は対人関係をうまくしたい。今一番勇気が要って、我慢していることはこれかもしれない。人一人に対して、話しかけたいことはたくさんある。でも話しかけようとすると、どう思われるかが気になって結局話せないのだ。全く怖がらずに話しかけていたら、私は今頃こんな性格に思われていないだろうなと思う。怖がらずに積極的に話しかけていたら、私はたぶん、明るくて馬鹿でお調子者で人なつっこい女性なのだ。でもそれらの要素が臆病の性でみんな隠れてしまっている。私はおとなしくて何を思っているのか分からない、近寄りがたい女性に思われている。私は中学のころから、「本当の自分」を家族とほんの少ない友達にしか見せていない。家族の前では、言いづらいこと意外は言いたい放題だった。弟や妹には自分の思ったことはどんどんいったし、笑ったり、笑わせたり。家族や友達と悪ふざけや面白い話をするのが楽しかった。でもなぜかそれ以外の集団となると、わたしは途端に静かになってシュールな不思議キャラになる。好きでやってるわけではない。そうなるしかないのだ。むしろシュールになるしか、自己表現の仕方が分からなくなっているのかもしれない。私は自己主張するのが好きだ。だから、かわいくてやたらに目立つ人を見かけるととてもうらやましく思う。なぜならその人が私の理想像だからである。でも自己主張する勇気が無い。人から馬鹿にされるのをひどく恐れるからである。馬鹿にされてもいいという勇気も無い。この前若い女性のグループを見た。人並みにおしゃれをした小奇麗なグループだった。楽しそうに話していた。私もあの中に入るはずだったのに、どうしていつもひとりなんだろう。寂しいときに電話をかけたい人もいなくて、どうしていいかわからなくなる。大学で入っているサークルは男性ばかりで話しにくい。もっと女の子が沢山いて言いたいことがバンバンいえるサークルにはいっときゃ良かったと思う。同じサークルには待っているだけで話しかけてきてもらえる子がいてうらやましい。私は今、嫌なことを忘れるくらいの楽しいことを誰かと一緒に共有したい。気兼ねなくお茶を飲んだり話をしたり、ふざけたり。そんな空間を求めている。
自分を出さずに、幸せだったことはあっただろうか。少しずつ自分を出していきたい。自分らしく生きたい。
私にはなりたい自分が沢山ある。シンプルで心地よい自分、オシャレで魅力的な自分、明るくて人気者の自分、芸術的な自分、よく気づく世話好きな自分、家庭的な自分、などなど尽きない。それぞれが喧嘩して、どれを一番主体とするのか、分からなくなってしまっている。私は葛藤している。よく考えると、それらは多少自分に備わっているものなのだ。ちょうど木から生えてくる腋芽のような感じ。みんな伸びる可能性がある。私はそれをみんなほしがって、どれを間引いていいのか分からない状態なのだ。迷っているうちに、困り果てて枯らしてしまうかもしれない。私に必要なのは、傷つく勇気かもしれない。
傷ついたっていいじゃないか。傷は痛いけどいつか塞がるじゃないか。
明日から頑張ろう、と思うのですが、落ち込んでなかなか踏み出せません。
≪規約同意済み≫
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