|
▼有佳さん:
>私はよく変わってる、変だと陰でいわれる事が多いです。
人はみな顔が違いますよね。つまり人はすべて「変」なの
です。考え方も千差万別ですから、それも「変」。私も
有佳さんも世界にたった一人しかいないために、これまた
とっても「変」なのですよ。違って当然なのであります。
有佳さんのことを陰口で言う人たちだって、とっても
「変」なのであります。
問題は、その「変」という言葉を「いけないこと」として
考えておられること。そして「いけないこと」を自分という
「存在」に対して、認定しようとする苦しさだと思います。
>いじめなんかでは「変わってるコはいじめられてもしょうがない」
>という記述をよく見かけます。
>ということは、何をしても構わない→どうなっても構わない
>→はっきりいって人間だと思われていない→死んでしまえ
>という事なんだと思いました。
いじめの発生は、いじめる側の八つ当たり。いじめられる側が
変わっているかどうかなど関係ないんです。八つ当たりです
から、理由はなんでもいいんですよ。つまりなんでも理由と
して作ってしまう、いじめる側の心の病理であって、そいつらが
自分の心に責任をもっていないということ。それに巻き込まれた
いじめられる側はたまったもんじゃありませんよね。
したがって、陰口をたたかれたからといって、自らを
「いけないもの」として認定し、それを治そう(この
言葉が出る自体に自己否定がありますよね)と思わなくても
いいのです。それは、自分が自分をいじめる側にまわって
しまうことになりますよ。いじめという八つ当たりの暴力の
受け手になりそうだったら、とっとと逃げる、助けを求める、
それを自在に選んでいい。そういう自分をしっかり肯定
してくださいね。
≪規約同意済み≫
|
|