|
聖さんこんばんは。
辛いですよね。自分なりに頑張った一つ一つがあれもダメこれもダメって、言われるって・・・・・
私も今似たことで行き詰まってます。小さい頃の感じも、聖さんと一緒なところ多いかな。
もうちょっとなんだけど、体に浸透しない、今そんな感じです。
一つ感じたんですけど、聖さんの中で達成の前の過程に対して「努力!」とか「頑張る!」とか、ものすごく重苦しーいイメージを持ってないかなって言うのが。
辛い思いをしなきゃ努力じゃないとか、楽しそうに物事を成し遂げてるようじゃ頑張ってないとか。そんな風に考えていないでしょうか。
あるいは何をするにも「頑張る事そのものが目的」といつの間にか、なってないですか。
だとしたら、結果に対して何も評価されないかもしれないのは、仕方が無いって事です。
だって「結果を出す事よりも頑張る事に必死だった」事を周りにアピールしちゃったんですから、見たまんま言われますわね(^^;)周りは間違ってなかったと・・・・・・いじわるにも言うより他無いんですよね。
でも、もういやですよね。でっかい事が出来なかったからって、無碍にされたくないですよね。
立川談志さんの言葉なんですが『努力という字は「奴の力」と書く位あって、要するに馬鹿に与えた夢なんだ』
この言葉を読んだ時、私も何となく「努力って、別に汗水流して眉間に皺寄せるだけが能じゃない」って事に気付いたんです。
本当に実りある努力っていうのは、やり遂げている過程でがんばるぞーがんばらなきゃーと「義務」の気持ちが無くもっと自然にやってるわけだそう。
例えば、あなたは自然に歩く事が出来るけど、足の不自由な人にとってはその作業は「必死の努力」です。あなたにとってはそれは努力でもなんでも無いですよね?
不変性の無いものに縛られるならいっそなんだって楽しくやった方がいい。
楽しくないなら「自分が心からやりたい事を増やす」
”これっぽっち”だって積み重ね。それだって今までしてきた努力です。
形を変えるだけ。
誉められるならなんだっていいじゃん。それ位の余裕も時にはあってもいいです。
自信を増やしていきましょうね。
≪規約同意済み≫
|
|