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▼リッツさん:
>友達も、そんなに多くありません。
はい、同じです。
>人付き合いも、上手では、ありません。
はい、同じです。
>恋愛も、上手くいきませんでした。特技も、特にありません。
まったく同じであります。
> 職場でも、よく、自分の気持ちに反することがたくさんあります。「これは間違っているんではないか?」「嫌だなぁ」と思っても、「誰かが言うだろう」とか、「立場が悪くなるし」「面倒くさい」と逃げてしまうんです。そのくせに、影で、「これおかしくない?」とか、「私は違っていると思う」とか、友達や親に愚痴や悪口をこぼしまくっているんです。
同じです。
> それから、私は人によって、いろんな自分が出てしまうんです。話しやすい人には、自分が出せるのに、少し苦手かな・・・と感じる人には、緊張して、いい子な自分をとっさに演じてしまう・・。ある程度は人間だから自然なことだと思いますが、そのことが、自分でも嫌になるくらい過度なんです。人によって言っていることが違うこともあります。自分の気持ちを伝えるべきなのに伝えられなくて逃げたり、そんな自分が卑怯者にしか思えず、しかも苦しいです。
ええ、苦しいですねぇ。
> 他の人が、人間関係や、仕事が上手くいっているのを見ると、置いていかれちゃう・・・と焦り、嫉妬心が沸いてきたりもします。
そうですね。焦るし羨ましいし…
> こんな私は、ある意味病気なのでしょうか。もう、中学生の頃から、こんな私なんです。本当は、素直になりたいんです。
「私は自分に自信がありません」にすべて集約していると
思います。自信を奪うのは何か。怖さと不安です。罪悪感を
持っている人もいます。恥が自分を抑え込む人もいます。
リッツさんの思う「自信」とはなんでしょうか。私は
ずっと「優秀なこと」だと信じてきました。そうなるには
幼少時代の環境があったのですが、実際の自分はそうでは
ないのです。ただの人間です。悲しみもする。怒りもする。
ただの人なんです。
自信。それは「ただの人である」ことを認め受け入れること
かと思います。自分への信頼=自信。多くの人は、私が
勘違いしたように、「何かができること」「優れている
こと」「人から受け入れられること」を機軸にして自信を
考えるようになるんですね。ところが、そうは簡単に
実現はされない。そこに落ち込み、悲しみ、傷つき、
そして偽る。できないことへの怖さを持ち、不安を感じ、
自分の存在そのもの、心と体に対する無条件の承認と信頼を
失ってしまうんですよ。
結果、端的にいえば、ミスを極度に怖がる、人の評価が気に
なる、自分がわからない、感情がわからない、自分を表現
できない、こういった苦しさを抱えます。
いっつも「何がいけないのか」に落ち込みますよね。いいんです。
何もいけなくないんです。すべて自然のこと。苦しいのも
事実、怖いのも事実、不安なのも全部、事実なんです。
「いけない」を捨てて、すべて認めればいいんです。
そして、苦しい中を頑張ってきた自分に気づけばいいんです。
そこから人は変わりますよ。変わるというより、変えていける
ことにためらう必要がなくなるんです。
「怖さ」は人の自然。でも何を怖がるかは、学習によって
教わり、練習によって身につけます。虫の嫌いな赤ちゃんは
いないにもかかわらず、いつしか大嫌いになっているのと同じ
です。習ったことは手放せます。「嫌いなもんは嫌い」としても
かまいませんが、自分を嫌うことは、ずっと自分を傷つけること。
自分の力を信じないことです。
「素直になりたい」
自らを許し、認め、受け入れることだと思います。それが
自分を信頼すること。つまり自信かと。「どうすればいいの
だろう」と戸惑いますよね。鏡に映った自分に向かって
「許そう」「認めよう」「受け入れよう」と声に出して
言ってみましょう。抵抗感があると思います。どれだけ、
それが自信を奪う心の正体です。肯定のまなざしを自分に
向けることをしっかり練習してみてください。
≪規約同意済み≫
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