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▼ちさとさん:
>私ね、思うんだけど、一番の原因は、過去を引きずっちゃってることにあると思う。きれいさっぱり思い出にできちゃったら、すっきりできるんじゃないかと思う。
思い出か・・・。でもさ、思い出にできてもやっぱり最初にあげたものはやらなきゃいけないことなんじゃないかなって思うんだ。
確かに今、高校を卒業して大学(一応今現在受かってるのが地方の大学しかないっていう状況なんだけど)に進学する上では環境はとても変わる。
だから、そういう方向にもっていってなんとかするにはいい機会かもしれない。
でもね、これって中学に入ったとき(自分は中学受験組みだったから)同じような感じだった気がする。小学時代のこと全部捨てて・・・1年半は生活できた。
でも、女性不信だったりなんだりっていうのに気付いたのもそのくらい過ぎてからだった。すなわち、無知だったがゆえに何も思わなかっただけだった。
今思えば、不信に拍車をかけた校内での女性の行動は、敵意ではなくどちらかというと好意に近いようにも思えるけど、思い出だってぐっと刺さりつづけるものだ。
小学校を卒業するときに、クラスみんなで色紙を書いてまわすなんていうのがあった・・建前でみんな書いてるのがイヤで仕方なかった。
自分が思い出と言い張ってもまだ引きずっている過去なのかもしれない。
記憶を書き換える・・世の中のこういう状況を脱するための手段のひとつにこういうのがあるらしい。
実際に聞いたのは中学生の頃、自分に近くにそういう経験をしているのがいた。
そして、最近またPCの画面上で見かけた。
すごいなって思う。でも・・・どこかで矛盾が生じたりしないのかなって。
思い出にするはそのまま過去を自分の中に持っているタイプだよね。
正直なところ、自分の過去は書き換えたいくらいに悲惨だと思う。
それも悲惨さがひどい。幸せの度合いを100点満点で表すと、ずっと31点くらいで推移しているように思える。
30点を下回ると赤点だよね。そうなると、まあ補習とか、課題とか、点数を上げる手段を与えてくれたり、同情したりしてくれるから、精神的にはもっと楽なんだと思う。
それが30点から40点っていういわゆるぎりぎりところにいるのはいつ落第するかって恐怖だらけみたいな感じ。だけど、問題視もされないから普通なんだって思われちゃう。
落ちきらないから辛いっていう一番やってはいけないことをやってるみたいだな。
思い出になればすっきりするかと聞かれたら怪しいな。笑って話せるレベルじゃないもん。
普段は無理して笑って思い出であるかのように語るけど、内心はいつも助けを求めてる。気付かれないようにしたいって思いながらも、助けを求めてる。
>>もっと簡単な方法があるんじゃないかっていう疑う心と、この方法で上手くいくのかって疑問と、強引に進めたけど答えに辿り着くのかって不安と・・・。
>うんうん。これはわかる。数学の時はいつもこんな感じかも。。。
時にはややこしい計算をすれば解けるのもわかるけど、正確な答えに辿り着ける可能性が低くなる。
さんざん式をぐるぐる回して、図形もぐるぐる回して、ちょっとした関係を見出したけど、答えとは全く関係ないみたいな方向に進むとほんとにどうにもならないからねぇ・・・。これはやってみたけど何も得られないどころか時間をロスするっていう最悪な結末だ・・・。
>ほんとドラマ仕立てっぽい。。
>「あの夕日に向かって走るぞ」的な感じ(笑)
何で夕日なのか疑問はあるな・・かなり時間限定だし。まあそういう時間になるように作られているのがドラマなんだろうけどね。
だけど、もしかしたらドラマみたいに台本があって、自分でない人を演じるっていうのは、こういうのでは楽かもしれないな・・ある種シュミレーションだし、自分の思いを入れるわけにもいかないわけだしね。
でも理科の世界で夕日に向かって走るとなると、どの方向に進むんだろうってちょっと不思議に思ってみたり(爆)
≪規約同意済み≫
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