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冴月さんこんにちは。
何だか私の昔の姿を見てるようで(ごめんなさい)・・・・・・
色々思い浮かべながら考えました。
>私がどうして心が醜くなってきているかというと、人の不幸が待ち遠しくてたまらないからです。少しでも人が成功したり嬉しいことがあると、「なんで私はこうなのに・・・。」と自分で自分を責めまくってうらやんで、誰かが事故にあったとかいじめで不登校とか、虐待のニュースとか聞くと「私と同じじゃん。別にかわいそうなんて思わない。みんな私と同じ目にあえばいい。」と心の奥で安心している自分がいます。うれしいとか楽しいという感情ではなくて、なんていえばいいのかわからないけど安心します。世の中で暗いといわれるニュースはすすんで読みます。
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幸せに生きるためにはこんな情報必要無いって解っていても身体がそちらに向いてしまう・・・・・すごくわかります。
そこで、「醜い」って責めてしまうんですね。
責めるというのは自分でどれだけ自己反省の思いだと信じていても、後ろ向きの思いがある以上はどうしても苦しみという持ちたくない荷物をイヤイヤ追加で背負おうとしてるのと同じ。今でも充分苦しみの荷物を背負っているあなたです、更に醜いと言葉を浴びせる事で苦しみの荷物を増やす「不幸の上塗り」でしかなくなるわけです。上塗りではなくても、捨てては背負いの繰り返し。
いつまで経っても自分の肩が不幸の積み重ねで潰れそうな苦しみから逃れられない。
そんな中で平和で穏やかな気持ちになれるでしょうか。辛いと思わないで済むものでしょうか。
辛いものは辛いですよね。
限界に近いものは曲げられませんよね。
だったら、荷物を余分に背負わない事しかないんです。「醜い」と責めるのを止める事からしか、多分始まらないと思います。
責めるっていうのは自分の持てる荷物の許容範囲を越えて苦しんでる自分に「へなちょこ!まだまだ持てるはずだ、そら持て」と酷使し重い荷物を与え続ける事と同じです。後ろ向きな思い、追加で背負いたいですか?
醜いとか嫌だと思う前に「自分はこんなに荷物を抱えてる」と認め、それを辛いと思っている自分を直視する以外には、ないんです。
それ以外は、後からでもどうにかなるから、その前に・・・・・・・。
いきさつはどうあれ、自分なりに耐えてきていた自分を認めてあげて欲しい。
「こんなに荷物抱えて、苦しかったよね」と、声をかけてあげて欲しいです。
後ろ向きな気持ちを捨て去る前に、しなきゃいけないことがいっぱいあるけど絶望しないで欲しい。勇気を出して自分を見てあげることで、何だこんなに簡単だったんだって思えること、たくさん見つかるから。
≪規約同意済み≫
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