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▼SAKURAさん:
>≪厳しいアドバイスはご遠慮ください≫
>≪女性≫
>≪16〜19歳≫
私は、山奥でキャンプしたことがあります。真っ暗闇の森の中で真夜中に子供達を連れてゆっくりゆっくり真夜中の観察散歩をしました。そういう環境では人の感覚は研ぎ澄まされます。非常に敏感になるのです。真っ暗闇と思って怖れると、いろいろな妄想が出てきますし、恐ろしいことを想像(創造)してしまいます。
ところが、見える感覚を研ぎ澄ますと、真っ暗闇と思っていた森の中にも、真夜中でもいろいろなものがかすかでも見えてくるのです。私もそれは知りませんでしたが、その日本でのキャンプにアメリカから参加したアメリカ原住民と交流のある自然学者が、参加者に教えてくれたのです。
かすかにでも見えていることを感じた子供達も私達も皆暗闇を恐れる気持ちも少なくなり、妄想もなくなり皆真っ暗闇の中で見えることを楽しんで真夜中の散歩を終えました。
私は、ガン摘出手術を体験して今も転移や再発の可能性がありますが、化学療法があまりにも辛くて予定の半分で死を覚悟で自分の意志で治療を中断してしまいました。そういう私にとって、生きているだけでも幸せです。
友人達は、私の状態を知って、「自分なら生きていられないなあ」と言ったりしますが、私にとっては、一瞬一瞬が感謝の連続のように感じます。
これは、コントラストの良い影響なのだろうと思います。真っ暗闇の状態にあれば、かすかな明かりにも敏感になりますし、死を覚悟した場合には、生きている一瞬一瞬が大切に感じてくるものです。私の場合はそういう状態なので、生きて行けないなどとは思えません。
そして、世の中は、私の見方や感じ方を自分で変えれば、どうにでも変わるものだと思います。五感(感覚)を通して感じる世界は(周囲の人の態度を含め)私の脳の中で再構成されたものを感じているのだからです。脳の中で再構成しているのは自分自身です。
人が見ているのは、目で見ていると思っているのが普通でしょうが、実は目を閉じていても見えることもあるのです。例えば夢です。夢は目を使わずに見ている状態でしょう。そのイメージは自分の頭の中でバーチャルに作られているイメージです。目を開けていてもバーチャルなイメージを自分の頭の中で作ることが良くあります。目の錯覚はいくらもあるものです。すべての感覚は、実は頭の中で感じ作られるものです。だから、糖尿病で膝から下を切除したのに、足先が痺れたりするのです。
Xという人を大嫌いなヤツで嫌なヤツだと思い込んでいたら、Xが良いことをしても、裏があると解釈してしまうのもです。褒められても、嫌味を言われたと解釈してしまうものです。つまりは、色眼鏡で見ている状態でしょう。
それに気付くと、自分が感じたい幸せ感も近いところにあるものです。特に暗闇の中で生きてきたなら、光には敏感になります。昼間だけで生きてきた人にとっては、大きな爆発的な光でなければ明るいと感じられないかも知れませんが、夜中だけで生きてきた人にとっては、ほんの些細な光も非常に明るく感じるものでしょう。
死んでいたはずの私にとっては、生きていられることだけでも充分に幸せです。金持ちではなくても、毎日の食事が食べられることだけでも充分に幸せです。そして、こうして見ず知らずに人とコミュニケートできることだけでも充分に幸せです。
こういう幸せは、ほとんど誰でも感じられる幸せだと思います。生きている限り、こういう根本的な幸せに気付くチャンスがあるのだと思います。私の究極的な幸せ感は、実は「生きている」ことだけにあるのではなく、こうして存在すること自体にあります。意識として存在すること。その他のことは、おまけの幸せです。生きていることも、感覚を持っていることも、美しいものを感じる能力があることも。
SAKURAさんも、私と同じ程度には幸せを感じることができるはずだろうと思います。あとはそれに気付くだけでしょう。
≪規約同意済み≫
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