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他人が怪我したのを見て痛いって自分も顔をしかめる事が有りませんか?
生き物は他者の行動を認知して、そこから共感を経て学習します。
ですから、自らの幸福、不幸とされる生き方を知るのも周りの人間から学びます。
他人が幸福でなければ、幸福とは何かを知る事すら不可能でしょう。
ですから他人が幸福である事は自らにとっても必要な事です。
ですが、他人の不幸を喜んでしまう事に罪悪感を感じる必要は無いと思います。
他人の不幸を見た時に、自分自身の立場の幸福さを再認識して浮き立たせる事も有るでしょう。逆に他人の幸福を見る事で自分自身の不幸さがより浮き立って見えてきてしまう事も有ると思います。
人間は劣等感から成長する事は良く有ります。何らかの「なりたい自分」と「それになりきれない自分」の葛藤の連続で人格は形成されていくという見方も有る位です。(Alfred Adler)
ですがその理論も決して「人間は醜い」という事ではありません。
他人の幸福を羨む事や不幸を楽しむ事は自らのストレスとなって帰ってきたり、劣等感の消化を妨げます。だからお勧めはしません。
他人の幸せを願うのも自らが幸せを感じるから行う事です。
自己満足とも言われますが、少なくとも劣等感やストレスは生まないので、こちらの方をお勧めします。
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