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▼小心者さん:
一言でいいますと、「強くなろう」とすることを
やめることです。傷つかないことが強いと思って
らっしゃる方が多いのですが、それはダイヤモンドとか、
塗装の強さとか、人の心とまったく次元の違うものを
イメージとして取り込んでいるからでしょうね。
「強いか弱いか判別してみますので、その心をここに
出してください」と言われて、出せる人は誰一人いま
せん。
小心者さんが「傷つく」と表現されるような時、
心はどんな声を出していますか? そして「強く」
なりたいと思うのは、その心の声を出す自分は
「イヤだ」「間違っている」と感じているからでは
ありませんか? だから「たいした事じゃない」と
断定しようとするのではないでしょうか。この一連の
心の動きに、何か不自然があるのだと思いますよ。
「傷ついた」と感じた時に「その一言、傷つくよ」
と表明すれば、相手はその後に配慮することを学ぶ
かもしれませんし、学ばなければ、あなたはその人との
距離を置くこともできる。そんな自分の行動を
自分で決めていった方が楽なのですが、それに
対するためらいの原因は、いくつかあると思います。
「気が弱く」は正確にいえば、人と接することが
怖いということですよね。「弱い」という言葉が
正確に現実を把握することを阻み、否定感を強め
ています。その怖さはどこから来るのか、探って
解決を与える「ほんとは怖くないんだ…」と気づいて
いけばよいのです。「人が怖い」が真理ならば、
誰一人として、人とつきあっていけませんし、
人類はとっくの昔に滅亡していますよね。
強いも弱いもありません。だから強くもなれません。
子供番組のヒーローじゃないのです。成長とは
ヒーローになることではありません。自分を正直に
みつめることだと思います。
ご自分の傾向をさぐり、その背景を確かめ、自分を
自分で否定している部分を取り除いていく。そして
「私は私でいいんだ」という感覚を育てる。この
感覚が、人の言葉にふりまわさずに聞き流したり、
あるいは議論に耐えうる自分の意見を出したりする
ことを可能にしていくのだと思います。その繰り
返しだと思いますよ。
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