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▼芽衣さん:
>▼シリアスさん:
>こんにちは。今日は気分はいかがですか?
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>>人って自分より劣ってるとおもったり、見下したりしてる人って確実にいますよね。そんな優しいひとばかりじゃないですよね?
>いると思います。確実に。その人にとっての価値観が、学歴だったら、学歴の劣る人を見下したり、お金だったら、貧乏な人を見下したり、地位だったら、平社員をバカにしたり、、ね。。。
>それのない世界は、ありえないでしょうね。
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>>そうゆうひとって自分と同じように優しくない人間とかひとを見下して喜んでる人間と一緒にいようとするんでしょうか?能力がすぐれていても人をみくだしたり
>>しない人間は人を見下す人間を拒否したら人を見下す人間は優しい人間とは一緒にいれないのだろうか?
>でも、その見下すサブジェクトが全て、、じゃないから、いくら見下すところがあるといえど、他にいいところがあると、優しい人間と一緒にいることもあるでしょうね。逆に「優しい人間」だからこそ、その見下す人とも一緒に入れるんじゃないかな。
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それじゃ優しい人間がだれなんだかわかりませんね。
>でも、感じ方にもよると思います。シリアスさんがAさんを「あの人は人を見下している」と感じても、Bさんはそうは思わないかもしれません。「見方」にもよる場合があるでしょうね。
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>>だから自分が見下したいという気持ちを一緒に共感して見下しあえる見下し友達みたいなのが友達になるんだろうか?
>見下してると思わないから、同じ気持ちを共感しているとは限らないともいます。でも、やっぱり「類は友を呼ぶ(?)」で、似たもの同志もいますね。。学校とかではそうですよね。いじめはあんまり一人じゃやらないから。
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>>人を見下したりしないけど見下す人間と一緒にいるということはその人間も見下し人間たちと優しくない人間ということでしょうか?
>そうとも限らないです。理由は上に書いたとおり。
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>>意味がわかりにくいでしょうか?
>>見下したり傷つけたりして喜んでる人間が多いなら誰も傷つけたくないとか優しくしたいとかそうゆう世界を求めてる人間には居場所がないんだろうか?この世界がここちよいとおもえる場所はないんだろうか?私は優しい人間が心地よい世界をつくっていくようなきがするんですが優しい人間が作る心地よい世界ってどんな世界だとおもいますか?
>でも、誰に見下されても、自分さえきちんと持っていれば、自分さえ自分をきちんと見ていれば、誰にどう見られようと、気にならないはずだと思います。
>それは優しさもそうですが、強さ、、もあるんじゃないでしょうか。あなたの思う見下し人間をも、あなたは分け隔てなく付き合うことができたら、それはあなたの強さが生み出す、優しさだと思います。
自分をきちんと見るとか強さとか見下された人間が弱いとできないときがあるんですよね。
自分はそうゆうのができなかったし。一時的につよくなることはできるかもしれないけどずっとみくだされたままではしんどくなる。
変わるのだって時間をかけなければできないし、どんどん自分がいやになる。
その強さは一人でつくるものなんだろうか?優しい人が人の心に強さをくれるきもする。自分の場合自分の強さってなんなのかわからない。自分の人生において自分のもってるものいおいて人に見下されても気にならない強さがないようなきがするので。気を張ってるだけになりかねないです。見下す人はそうゆう強さがない人間を攻撃してるのかもしれないです。
>そういうのをもてる人になれば、たとえ、見下す人間がいても、心地よい世界になると思いますよ。
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>他人を変えるのは大変ですが、自分の気持ちの持ちようで、見え方が変わってくることがあります。
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