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▼芽衣さん:
>▼シリアスさん:
>>それじゃ優しい人間がだれなんだかわかりませんね。
>だから、人間は、「優しい人」「見下す人」でははっきり境界線はひけないんだと思います。私にはこの人は優しいけど、アルバイトの人には見下した態度をとるなぁって言う人だっているでしょうしね。例えばですが。
>
>だから、その人その人によるんじゃないかな?
>で、シリアスさんは、どういう背景でこのトピを立てたんですか?
>周りに、優しいけど、本当は人を見下してるんじゃないかと思う人がいるの?
>それとも、「ただ、思って」ってやつですか?
>もし、その背景がわかるともっと絞ってレスできるのですが。。。ちょっと漠然としていて、私も漠然としかアドバイスできてません。。。
>
私の周りには見下す人がいます。自分の容姿や学歴 病気のこと 体がよわいこと
人間関係のことで仕事のこと 服装のこと・・とかいっぱいあります。仕事をしてるときはかろうじて強さをたもってました。特に兄弟とかは常に悪口をはいてきます。精神異常者 とか病人とか 変な人 とかきちがいとか 人間は弱い立場に立つとひどい嫌がらせや虐待を受けるんだ.毎日殺されるかも知れないとおもいました。暴力的な人間がなにかを見下したとき、ほんとにえげつない行動にでるとおもいました。殴りたいとか殺したいとか・・。そうゆうひとに優しさをもとめてもしんどくなるだけでした。精神的にも肉体的にもいつも殴られるかもとかなにかされるかもしれないとか思いました。見下す相手にはそこまでしたくなるものなんだろうか?なんかその事についての恐怖はいまだ続いてて解決できてません。
見下されない人間になるしかないとおもうんですが。死にたいと思う原因でもあります。
自分が見下される原因があるとして、やっぱり自分がわるいんだろうか?とおもってしまう。
病気の人とか仕事ができない人とか容姿の事とかどうしようもない事でみくだされるのはしかたないんでしょうか?
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>>自分をきちんと見るとか強さとか見下された人間が弱いとできないときがあるんですよね。
>逆に、「弱いから見下されていると感じる」と言う場合もあるよね。
>
弱いとそうおもうのかもしれませんね。
>>自分はそうゆうのができなかったし。一時的につよくなることはできるかもしれないけどずっとみくだされたままではしんどくなる。
>だから、「見下されてる」と思わないようにするしかないかな?
>思わないようにするか・・。
>>変わるのだって時間をかけなければできないし、どんどん自分がいやになる。
>そう。誰だってすぐには変われないよ。だから、そうやって時間をかけることをおっくうがったり、その時間をかけることを「大切なことだ」と思えないと、無理だよね。
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>>その強さは一人でつくるものなんだろうか?優しい人が人の心に強さをくれるきもする。自分の場合自分の強さってなんなのかわからない。自分の人生において自分のもってるものいおいて人に見下されても気にならない強さがないようなきがするので。気を張ってるだけになりかねないです。見下す人はそうゆう強さがない人間を攻撃してるのかもしれないです。
>それもあるね。見下すというか、攻撃する側は弱いところを攻撃するだろうから。
>自分の中の強さを自分で知ってる人はそう多くはないよ。自分を見つめなおして、いいところ、悪いところを素直に見てみないと。それには、自分を悲観的に見てしまう人は出来ないと思う。でも、そういう悲観的な考え抜きで、見れたら、ちゃんと自分の強さ、気づくはずだよ。
>
悲観的にみるとは自分のつよさがみえないんですね。
>強さは、自分ひとりで作るものだと思います。私個人的には。
>強くなるには、なろうとする理由や動機があるわけだけど、その動悸や理由は他の人によって作られた状況だろうけど、実際自分の心を鍛えるのは、自分の悲しみに耐える心、嫌なものを受け入れる心、現実を見る痛みに耐えるのは、やっぱり自分しかいないよ。。
自分の心の強さを実感するできたらいいなとおもいました。
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