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▼冴月さん:
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>私がどうして心が醜くなってきているかというと、人の不幸が待ち遠しくてたまらないからです。少しでも人が成功したり嬉しいことがあると、「なんで私はこうなのに・・・。」と自分で自分を責めまくってうらやんで、誰かが事故にあったとかいじめで不登校とか、虐待のニュースとか聞くと「私と同じじゃん。別にかわいそうなんて思わない。みんな私と同じ目にあえばいい。」と心の奥で安心している自分がいます。うれしいとか楽しいという感情ではなくて、なんていえばいいのかわからないけど安心します。世の中で暗いといわれるニュースはすすんで読みます。
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人ってさ、みんな違うんだよね。
つらいことだって人それぞれ。
ようは自分の問題。
他人と比べて問題が解決するわけでもないし。
「人の不幸は蜜の味」なんていうけど、そこで安心して定住したって一歩も進めない。
気休めくらいにはなるだろうけどね。
>こんなに醜いのに、さらに自分の夢を聞かれると「臨床心理士になって、私と同じような思いをした人の心が少しでもいい方向に向かえる手助けをしてあげたいです。」などとしゃべっています。信じてもらえないかもしれないけど、その思いも絶対にうそではないです。本当にそう思っています。
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それはいい事ですね。
その気持ちを持ち続けてください。
>なんかこの心の醜さとギャップがゆるせないし、自分の中では苦しいです。
>誰かたすけてください。
理想と現実は誰にでもありますよね。
完全な人なんてどこにもいません。
まずそれを認めること。
それでも苦しいなら、理想に近づきたいという深い心の要求かもしれませんね。
自分の中のいやな感情が出てきたら、自分を守るためにでてきますのでお礼を言いましょう。
お礼を言ったら、その感情は役目を終えていますので、さよならを告げましょう。
≪規約同意済み≫
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