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▼めりぃさん:
>軽いうつ病で通院しています。
>昨日母と電話で話していて
>「人間誰でも『自己愛』ってのがあるからね。人間って心の中では一番自分が可愛いという気持ちがあるから、そうやって自分のことを陥れて『かわいそうな自分』って思っている場合もあるから、そんなに深く悩まないで」
>と言われました。正直ショックでした。
そのショックだった時の感覚を覚えていますか?
心に刺さる感じ、どんなものだったでしょうか。
そのことと「自己愛」については別ですが、
適切に自己愛を保ち、表現していくことを邪魔している
部分と、その傷つきは関係あると思います。
自己愛を簡単に言えば「生きる力」かと思います。
生き物ならば、生きようとして自分を守ろうとする
力があります。それは痛みを感じたり、傷を治していく
体の機能もそうです。また、さまざまな感情もすべて、
生きようとする力の表れです。それは生物としての
人に与えられた生きる力。それらの機能に対して、
肯定的であるか否定的であるかによって、自己愛の
形が変わります。
お母さんが指摘したのは自己憐憫ということかと。
自らをみじめに、哀れに扱い、それをアピールする
ことによって関心をかうという方法をとる人が
少なからずいます。自分を守るためという動機は
いいのですが、方法としては、他者を振り回して
しまいますし、何より、自らを可愛そうな存在と
して扱うことのみじめさは解決できません。
いずれにしても生き物として自分を守るという
自己愛はある。その動機は間違っていないのですが、
自らを守ろうとする方法としてはどうかという
問題かと思います。母子関係は、自分を守るための
行動を習うための最も大きな場です。めりぃさんは、
どんな方法で自分の欲求を伝えることを学んだでしょうか。
>自分が人に相談したり、助けを求めたりすることって「自己愛」に繋がってるのですか?
>でも人間そうやって支えあって生きていくものだと思うのですが。。。
その通りです。ただ、相談したり、助けを求めても、
報われないことがありますよね。たぶん、お母さんの
言葉はめりぃさんにとって拒絶のような感じだったので
しょうね。この時に「自己愛」の力を「わかってほし
かったけども、そうじゃないときもあるな」という
納得に差し向けるか、「なんでわかってくれないの…」
という悲しみを感じるか。この差は、自らの生きる力と
しての、心と体の自然に対し、肯定的であるか否定的で
あるかの違いかと思います。
自分を守ろうとする心や体の働きは誰でもある。
その働きに対して「ダメだ」と思うか「ありがとう」と
思うか。適切な自己愛は後者から育つと思います。
≪規約同意済み≫
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