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トトさん、こんばんは。
HPの日記も読ませて頂きました。
トトさんはずっと「自然にダメになってしまった自分の悲しみ」という視点に押し込められて、苦しみ続けてたのだと何となく思いました。
だけど、私はあなたが自らの宿命に導かれたかのようにそうなったとは思いませんでした。
あなたにはしっかりと「こうなったのは私だけが悪いのではない」という権利のある人だと、私は思ったんです。
一刺しで深い傷を負う人と、何十年と真綿で首をしめ続けられる人と・・・・
傷を負った人の方が辛いに決まってるなんて、誰に言えるでしょうか。
力の弱い圧力だからといって、これはましだとかどうして言えるんでしょう。
どちらだって、トータルでダメージが同等であれば立派に「同等」になり得る。
私は、この最近ようやく「真綿派の人間だった」事をしっかりと自覚しました。そこから、少しずつ変わるかもしれない手ごたえをつかめるようになったような気がするんです。今まではそれは甘えとしか思えなかった。だけど、納得してないわだかまりを抑えたままの精いっぱい我慢してきた自分が「甘えている」とか決め付けるのは、それこそが理不尽なのではないかとも思えてきました。どうして、理由はどうあれよく頑張ったって思えなかったのかなって・・・・・
私も、何不自由なく育ったと思い込んできたはずが転落していった人の一人だから、そしてそれを昇華するには、こう思う事からしか生き辛さを変えられぬと気付いたから、そう思えるのです。
何だか分からないが多分、私のせいなのだ。
これは責任感でも賢明な考えでも何でもない、白いものを黒と言わないといけないような苦しみで嘘を言わされたに過ぎないのではないか。
何だか分からないままで、努力したって変われないのは当然ですよね。現に無理でしたよね?原因もいきさつもきっかけすらも何もかもが「分からない」のですもの、空を斬ろうとしているようなもの。
もう無理難題に苦しんで「死のう」なんて考えなくていい。
正体が分からないものの為のの努力に疲れるのは、当り前なんですよ。
トトさんは、それをあえて引き受けすぎて、しんどくなっただけなのだと思う。
そんな自分をせめて、よく辛抱したねって言ってあげて欲しい。
小さい頃から事ある毎に些細だから何て事無い、って、ないがしろにされたかもしれない。しなくてはならないと教えられてきたかもしれない。
でも些細な傷だって、治らない内にムチャに扱ったら手におえない傷になるんです。あなたの中の傷は、理由はどうあれ立派な形になってしまっている・・・もう「大した事が無いのに」何て、言わなくても、偽らなくっていいんです。
もう癒してあげて、いいんですよ、その傷は。
よく耐えてきたと思います。トトさんは決して甘えてきたりしていない。
トトさんはこれらの言葉を与えられてもいい人なの。これだけは自信を持って言えます。
いつになったら霧が晴れるか、それは私には答えてあげられないけれど・・・・
≪規約同意済み≫
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