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私も、去年の12月23日までリストカットをしていました。
12月23日と言うのは、私が、本気で死のうと思って、遺書まで書いて実行して、失敗した日です。
なぜ、その日までかというと、その日、近くの公園で手首を切った私は、通りがかった人に警察を呼ばれ、そのまま病院に搬送されました。幸い傷は浅く、3針縫うにとどまりました。
そして、警察の女の方に、いろいろと話をされました。けど、その時点で私は、「どうせ私の気持ちなんて、誰にも分からない」と言う思いから、まともに話を聞いていませんでした。分かったような顔をして、ハイハイとうなずいていただけでした。
家に帰って母の顔を見て、ますます冷めました。心配そうに、気遣うような、怒った様な顔をしていたからです。「こうさせたのは何処のどいつよ」という思いでした。
この時点で、リストカットをやめる気は無かったし、やめられるとも思っていませんでした。ただ、手首の傷の手当のために、自転車で一時間くらいかかる病院まで行っていたので、そんなにしてまで傷の手当をしているのに、また別のところに傷を増やすのは馬鹿らしいと思い、多少の事は、自分の中で抑えられるようになっていました。病院で見つかって、いちいち聞かれるのも面倒だったし。
そんな感じで、年末を迎え、31日に友達が家に泊まりに来ました。そして、あるチャットに入ったんです。私はチャットなんかやったことなくて、友達に任せっきりにしていました。でもそのうち、なんとなく、話に入ってみたんです。そこで、ある人と出会いました。
その人と話が合って、メアドを交換し、メル友として会話するようになりました。学校でも、家でも、あまり人と会話することがなかった私にとっては、その時間だけが唯一の自由な、心が開放されるような時間でした。
そのうち、自分の身の上なども話すようになり、勇気を出して、リストカットをしていて、自殺を図ったことも話してみたんです。それで嫌われようと、連絡絶たれようと、そこまでの人間だったというだけで、そんな人は今までに嫌というほど見てきたし、別にいいや、という感じでした。
でも、その人は、私が今までに見てきた人とは違いました。責めるでもなく、非難するでもなく、ましてや連絡を絶つでもなく、ただ、「俺が二度と切らせないよ」と言ったんです。
住んでる場所も全然違うし、そんなの、言葉だけだっていうのは分かっていました。けど、初めてだったんです。そんな風に、何気ないようで、優しい、力強い言葉をかけられたの、初めてだったんです。
私がまたやったら、この人は悲しむ。この言葉をくれた人が、私がまた切ることによって、悲しんでしまう。そう思ったら、母に「ずるい人間に成り下がった」と言われたときも、「人間のクズ」と言われたときも、切ろうとしても、切ることができませんでした。
そして、今でも切っていません。自分を傷つけるような行為は、一切していません。
これが、どんな参考になるかは分かりません。または、何の参考にもならないでしょう。ただ、私はこうして、リストカットから解放されました。これは事実です。
≪規約同意済み≫
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