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▼ペレの休日さん:
> 共依存というのは病気の一種なのでしょうか?
> 自分を犠牲にしてまで、人のためにあれこれと手を尽くすのは心の病でしょうか?
> もしそうだとすると、善人ほど病気でしょうか。
> 極端な話、イエス・キリストはかなりの共依存者なのでしょうか?
キリストさんは「汝らのせいで自分は犠牲になった」と
誰も責めてはいませんよねぇ。マザー・テレサも「私は
世界の犠牲に
なってる!」と怒りまくってませんよね。共依存症とは
「人に必要とされる必要」を抱えて、それが思い通りに
ならずに、怒ったり悲しんだりしているわけで、表面に
現れた「誰かに尽くす」等の行動がいけないとか病的
とかではないのです。内面の問題であり、生きづらさの
課題です。私は病気というよりも哲学や生き方の問題だと
思います。
もちろん、こういった生きづらさから脱出できずに、
精神が疲弊して鬱症状になったとき、その症状は
病気といえるでしょう。
> もし、共依存が一般化していたら、利己主義が病なのでしょうか。
「人に必要とされる必要」を満足させるために、人に
懸命につくして評価を得ようとするとしたら、これは
利他主義でしょうか利己主義でしょうか。行動は利他
主義にみえますが、心の中は実は自分の寂しさで一杯
なのです。
誰かに懸命に尽くして思い通りにならなかったとします。
「私は自分の信念にしたがってこれだけやった。よしと
しよう」と自己評価ができればいいですが、共依存の
課題を心に抱えていれば「これだけしてやったのに!」と
人を責めるか「私はダメなんだ…」と自分を責めます。
> もしそうならば、時代の価値基準で、心の病かそうでないかが決まるような気がするのですが・・
現代日本社会そのものが、とても共依存的だと思います。
日本風の夫婦関係、親子関係、企業と社員…共依存的
傾向が強いのは確か。共依存は依存症回復の現場から
生まれてきた概念です。一部では、これを精神病理に
組み込む動きもありますが、この言葉に惑わされずに、
自分で自分を決めて納得しながら生きていくための、
示唆として受け取っていればよいと、私は思います。
≪規約同意済み≫
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