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▼どろさん:
>▼有佳さん:
>
>>私はよく変わってる、変だと陰でいわれる事が多いです。
>
>人はみな顔が違いますよね。つまり人はすべて「変」なの
>です。考え方も千差万別ですから、それも「変」。私も
>有佳さんも世界にたった一人しかいないために、これまた
>とっても「変」なのですよ。違って当然なのであります。
>有佳さんのことを陰口で言う人たちだって、とっても
>「変」なのであります。
なるほど。そのような考え方もあるんですね。
そのような発想が今まで浮かびませんでした。
勉強になりました^^
>問題は、その「変」という言葉を「いけないこと」として
>考えておられること。そして「いけないこと」を自分という
>「存在」に対して、認定しようとする苦しさだと思います。
そういうことだったんですか。確かにいけないことをしている自分を
認定するのはかなりしんどいですよね(^_^;)
でも、変は別に悪い事として認識する必要はないんですね?
>>いじめなんかでは「変わってるコはいじめられてもしょうがない」
>>という記述をよく見かけます。
>>ということは、何をしても構わない→どうなっても構わない
>>→はっきりいって人間だと思われていない→死んでしまえ
>>という事なんだと思いました。
>
>いじめの発生は、いじめる側の八つ当たり。いじめられる側が
>変わっているかどうかなど関係ないんです。八つ当たりです
>から、理由はなんでもいいんですよ。つまりなんでも理由と
>して作ってしまう、いじめる側の心の病理であって、そいつらが
>自分の心に責任をもっていないということ。それに巻き込まれた
>いじめられる側はたまったもんじゃありませんよね。
そうですね、たまったもんじゃないですね。
>したがって、陰口をたたかれたからといって、自らを
>「いけないもの」として認定し、それを治そう(この
>言葉が出る自体に自己否定がありますよね)と思わなくても
>いいのです。それは、自分が自分をいじめる側にまわって
>しまうことになりますよ。いじめという八つ当たりの暴力の
>受け手になりそうだったら、とっとと逃げる、助けを求める、
>それを自在に選んでいい。そういう自分をしっかり肯定
>してくださいね。
自分を肯定、なかなか思うより難しいことですが
やってみようとおもいます。
レスどうもありがとうございましたm(_ _)m
≪規約同意済み≫
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