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▼破戒僧さん:
>シリアスさん、こんばんは
>残念ながら、シリアスさんの仰る通りだと思います。
>他人を見下す人は、その行為によって自分が優位にいることを確認しているのだと思います。
>そして、同時に自分がそうされることを嫌っているようです。
>そのため、同じレベルの人が集まり、他人を卑下し、自分たちが優位にいることを確認し合い、優越感に浸るという場合が多いようです。
>そして、優越感に浸っている人は、自分が絶対であり、自分を優位に見せるための口実を見つけては自慢し、同意を求める場合も多いようです。
>また、そうなった人は、賛成しない人をも見下す傾向にあるようです。
>自己愛人格障害者もこの中にはいるのかもしれませんね。
>
自己愛人格障害者っていうんですか。そーゆー人もふくまれると。それってかわれないのかな。
>自分を誇大評価し、他人を卑下するような考えは不要で、自分も他人も正当に評価し、認め合う気持ちが大事だと思います。
>人の数だけ考え方があり、それを認め受け入れることのできることが重要なのだと思います。
>
できるだけそうゆうふうになっていきたいとおもいました。
>子供の頃、道徳の時間に習ったように、「自分だったらどう思うのか?」を常に考え相手の事を尊重しながらも、自分の考えも大事にし、より良い方法を模索していく・・・
>これを、みんなができたなら、素晴らしい世界になるのではないでしょうか?
>子どものころできてても大人になってできなくなったりするのかも。大人になっても道徳的なことを考える時間とか機会がたくさんあればいいなとおもいました。
>優しい人が傷つかない世界・・・実現できるなら、これほど素晴らしいことはないですね。
自分たちが住んでる世界が良い世界にしたいとかすばらしい世界にしたいと思ってる人なら優しい人が傷つかない世界をつくることができるのかもしれないですね。
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