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いゆみさん、こんばんは
僕の父は2002年の2月の夜8時頃に亡くなりました。
病院から兄に電話があり、一人東京にいた僕の元へ兄から電話がありましたが
15分後に父は息を引き取りました。
いゆみさんのご家族が、なぜお父さんの死を笑っていたのか、
そのあたりの事情は分かりませんが、僕の父の場合は医療事故でしたが、
最初はミスを認めながら、後で否定した医師や、一部の看護師や介護士たちは、
脳をやられて廃人のようになった哀れな父を、せせら笑っていました。
ですから、人の死を気にもかけず、笑う人を許せない気持ちは僕にも分かる気がします。
ただ、僕は落ち込んだり、恨むことをすることは、選びませんでした。
なぜなら、僕は魂は死なないと思っていましたので、父の幸せを考えることが最優先だと思ったからです。落ち込んだり、うらむことは、後でもできることだと思いました。
父の魂の幸せのためには、僕が父の思い出を大切にし、いつまでも心に残して、
そして僕が幸せになる姿を父に見せて微笑んでもらうことだと思いました。
人の命を粗末にする人たちは、僕が手を下すことをしなくても、自然にその報いを受けると思います。ですから、その人たちは愚かな人だと思います。だからといって、許す気持ちにはなれませんが、哀れむようにはなれました。
いゆみさんは、「今するべきことは何か?」を考えてみてください。
お父さんを今でも愛しているのなら、今何をすべきかが分かるはずです。
悲しむのは、自分が悲しいからでしょう?
リストカットするのも、自分のためでしょう?
自分のために泣くのはやめて、お父さんのためにできることを考えましょう。
それは自分を傷つけることではないはずです。
お父さんは、いゆみさんの笑顔が見たいのではないでしょうか?
僕に言えることはこれだけですが、
お目汚しですが、父のことを思って綴った僕の詩を下記にコピーさせていただきます。
「聞こえますか」
お父さん。。
あなたをそう呼んだことはなかったけど
元気にしていますか?
あなたがもしこの地球で生まれ変わっていたら
まだ子供のあなたの幸せな未来ために
この社会をなんとかしなきゃ。。そう思います
あなたにひとつ聞きたいことがあります。
2年前のお正月。。
東京へ帰る僕を玄関で見送ってくれた時
「あの子の姿を見ていたいから」って言って
痛い体を引きずって首を伸ばして
僕が角を曲がるまでずっと後ろ姿を見ていたって
お母さんから後で聞きました
あなたは知っていたんですか?
もう僕に会えないことを
自分が事故死することを
僕がもしそれを感じていたら
振り返って。。いや、引き返して
あなたに言いたいことがあった。。
どれだけ僕があなたを愛していたか
たとえ言葉にはできなくても
残されたわずかな時間に
もっと親孝行をさせて欲しかった
息を引き取る間際の 意識を失っていくあなたに
さよならの代わりに言った言葉 覚えていますか
一言しか言えませんでした。
でも、僕の気持ちのすべてを込めて言いました
ありがとうって。
こんなに悲しい想いをするなら
今までの人生の楽しい事なんて全部いらなかった
。。そんな子供みたいなことを神様に訴えて
見上げた空は 悲しいほど 青く綺麗で
なぜか あなたの優しい笑顔のようでした
あなたは身を挺して 僕に教えてくれました
命がこんなに愛しいことを
あなたを愛するように
多くの命を愛することが
僕のできる親孝行なんですね
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