|
▼ロッタさん:
ロッタさんはよくご自分のことを理解していますし、
それをこうやって言葉にできる力があります。私は
基本的にその方針でOKだと思います。誰とでも
腹を割って話せる「こと」はあまり重要なことでは
ありません。
>自分の内面を少しでも知られるのが
>たまらなく恐ろしいのです。
この怖さが課題だと思います。これが大きいと、自分を
表現することを「他者」の如何で決められてしまう
ことになります。つまり心の操縦という主体を自分から
他者にゆずることになりますね。
誰でも「この人だから話せる」という状況は持っています。
その時に主体は誰なのか。「自分」なのか「この人」なのか
ということです。自分の素直な感情を表現することしないこと
を、いつでも私は選べるという主体性の獲得の問題だと思います。
>これから社会に出るにあたり、こんな排他的な性格では
>いけないのでは、と考えるようになりました。
>必ずしも、職場に自分と合う人間がいるとは限らないのですから。
>妥協して人間関係を築く方法が知りたいのです。
排他的ではありませんからご安心を。それでいいのですよ。
すでに人間関係を築くことはできていて、そのことで問題は
ないわけですから。主体は常に自分にあるということに気づく
ことだと思います。それは、自分の人生は自分が責任を持つと
言ってもいいでしょう。そのために、ご自分の感情を表現する
ことへの怖さが課題となりますね。
人にはいろんな感情があります。その中でロッタさんはどんな
感情に対して否定的でしょうか。「怒り」ですか?「悲しみ」
ですか?特定の感情に対して否定的であることは、表現すること
へのためらいを生みます。罪悪感や恥辱感といった大きな
力が働いていることも考えられます。
感情は人であるかぎり誰でももつ自然なもの。喜怒哀楽すべて
生きるために私たちが与えられた力です。それをロッタさん
自身が自分に積極的に認めていくことで、解決していくと思い
ますよ。
|
|