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キアロさん、こんばんは。
>「他人の幸福は毒の味、他人の不幸は蜜の味」だと思いますか?
> 建前ではなくて本音で正直に答えてください。お願いします。
幸福の尺度は、その人によってやはり違うものだと思いますが
私は、はたから見ていて
「きらきら」したしあわせと
「ぎらぎら」したしあわせ
・・・の2つががあるように思うのです。
上手く言えないのですが
「きらきら」した人のしあわせ(幸福)を見ている時は
私にとっては毒の味ではなくて
こっちまで蜜の味を分けてもらえるような、そんな感覚になります。
上に書いた「きらきら」と「ぎらぎら」の私にとっての違いですが
「きらきら」の方は、おごり高ぶらなく、でも確かにそこにある幸福で
「ぎらぎら」の方は、人に見せつけて、私はあなたよりしあわせよ!
という、そう確かめなければ確認できないような幸福
・・・のような気がするのです。
「ぎらぎら」な方を見ている時は
毒の味・・・というより、気分が悪くなりますね。
そんなに自慢しなければ、人を見下さなければ
自分がしあわせだって確認できないのならば
それはしあわせとは違うんじゃないのかな、って。
だから私は「きらきら」した幸福を持っている人を見かけた時は
素直に「ああ、いいなぁ」と
こっちまでなんだかしあわせを分けてもらっちゃうような感覚に陥ります。
動物園での楽しそうな親子連れとか
さわやか(←ここは強調しておきます。笑)カップルとか。
本当の幸福って、きっと周りにも伝染するように思うんです。
「他人の幸福は毒の味、他人の不幸は蜜の味」
でもやっぱりこう思うのは、その時の精神状態も
もしかしたら左右するものがあるのかもしれません。
だけどやっぱり、見ていてほほえましくて静かなあたたかな幸福は
蜜の味というより、私にとっては
「真冬のあったかいココア」のような味に感じます。
うーん、なんか見当違いのお返事でしたでしょうか(笑)
こんな考えの奴もいるんだなーという感じに
読んでいただけたらとても嬉しいです。
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