|
ツリーが大きくなっていたので、何事かと思い読ませていただきました。
私が受けた印象では、一番の問題は、パート主婦さんは「うっぷん(フラストレーション)が溜まっている」ということのように感じます。その直接の原因は、自分が思っていることを表現できない、生きたい生き方ができないということのようですし、原因をもっと遡ると、「主人」中心の結婚関係になってしまって「自分」が無いということではないでしょうか?さらにその原因を遡ると、「健康ではない」「子供を産めない」ということが、大きな劣等感になってしまっているのではないでしょうか?一番の問題は自分の「健康」や「体調」に基づく劣等感なのではないかと思います。
自分がそういう自分自身を受け入れられていないから、他人も受け入れられるとは思えない。一人で生活をする自信がない(できないのが現実)だから、生活のために結婚した。自分の生活を維持させてもらっているのが「主人」なのだから、主人の希望に従うしかない。自分の意見は言えない。自分のしたいことはできない。そういうことなのではないかな?と思いました。
そうだとすると(そうではない可能性もあるかも知れませんが)、結婚関係は、それぞれの健康状態に関わらず、丸まんまの人間同士としての関係だと言うことを理解する必要があるのではないでしょうか?日本には、女性にとっての結婚を「永久就職」と表現することもありますが、それでは「主人と住み込み家政婦兼性欲処理用サービス女の関係」になってしまいます。「主人とその必要性を満たすための女」では、結婚関係ではないでしょう?
パート主婦さんの書かれたものを読むと、多かれ少なかれ自分をそのような存在として感じているような印象を受けました。(実際にはそうではないのかも知れませんが)
そういう関係が確立してしまっているなら、それを変えることは簡単なことではないかも知れませんが、変えなければ、今の問題はもっとどんどん大きくなるばかりでしょう。フラストレーションは溜まるものでしょうから。
結婚関係を、丸まんまの夫と丸まんまの妻との共同作業で作り育てるものだと理解してはどうですか?「結婚してもらっている」とか「結婚してやっている」関係では、お互いのためにもなりません。例えば、「障害者」と「健常者(!)」との結婚関係も、五分と五分の関係でしょう。お互いがお互いを選んだのだから、五分五分です。「他の人を選べたのに自分を選んでくれた」と感謝するのは良いでしょうが、事実は、「他の人を選べたのにこの人を選んだ」のも「お互い様」なことです。だから五分と五分。感謝しながらも五分と五分だと思います。
だから、二人で共同で二人だけの結婚関係を作り育てることです。今の関係にしている責任の一端は自分にもあるのです。これからどういう関係を作り育てるかについても、自分に一端の責任があります。無理して我慢してフラストレーションを溜め続けるのも自分でしょうし、夫とのコミュニケーションを通じて、自分も「結婚関係を作り育てる」ことに主体的に関わることを選択するのも自分でしょう。
まずは、自分について劣等感を持っているとすれば、それを処理することを考えてみてはどうですか?自分をそのまま受け入れてみてはどうですか?そして、そういう自分自身として今の結婚関係をどういう結婚関係にしたいのか。建設的により良い関係にすることを目指して夫とコミュニケートしてはどうですか?「夫へのフラストレーション」とか「今までの結婚関係へのフラストレーション」を夫に叩きつけるのではなく、フラストレーションの原因を取り除くような良い関係にするように語り合ってはどうでしょうか?
根本的な原因が自分の劣等感にあるということなら、「夫が原因」とはならないでしょう。「夫が原因」でなければ、夫に文句を言う必要もないでしょう。
≪規約同意済み≫
|
|