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▼悠夜さん:
はじめまして。私も似たような経験がありました。
授業も本当に熱心で大嫌いな歴史がその先生のおかげでおもしろくて、すごく
好きになりました。進路指導担当で、とても身近で尊敬できる先生でした。
当時大学への推薦をいただき、他の推薦された子たちと面接の練習をした際、
その先生から励ましでなく思いもよらないセリフを言われました。
「正直なこといえば、個人なんてどうでもいい。この学校の名前だけは汚さな
いように、きちんとした身なりで態度で臨んで欲しい。」
この言葉を聴いた瞬間、一体何を言われているのか全く理解できず・・・
いや!この先生がこんなことを言うはずがない・・・と受け入れられずにいま
した。でも、その言葉は大学入学後も消えず、自問自答のように繰り返し私の
心で流れ・・・確かに学校側としてはそれが本音だとさとりました。誰かが失
敗すれば、推薦の枠が減ってしまう。そうすれば後輩も困る。学校側も進学率が
保てなくなってしまう。それは学校の経営に直結する重大事項。
理屈は理解できます。ですが、その当時、プレッシャーや緊張で面接直前という
受験生に言うべき言葉でなかったのは確かです。ある意味幻滅しました。
なぜ、もっと他の言い方ができなかったのか。なぜもっと私たちを信頼していて
くれなかったのか。できれば一生聞きたくないことでした。
数年後、わりきれるようになりました。自分の成長もあってのことかと。
そして、今はその先生のことを思い出すこともなくまりました。
周りがどうのこうの・・・それはあまり気にする必要はないと思います。
先生の良いところをちゃんと見ることができるのは大切なことです。
実際には大した理由もないのに、一人があの先生嫌!というと、なぜか同調して
しまう子が多いのも困ったものですよね。
まして、直接聞いたわけでもないなら、尊敬し、信じ続けることが大切だと思い
ます。すぐに解決しなくても、いずれその後、やっぱり信じてよかったと思える
かもしれませんし。そうでないかもしれません。
一度、信じることをやめてしまうと、再び信じようとすることは思いのほか難し
いものですし、人を信じるって大切なことですよね。
ですから、信じられる限り信じていくのが一番だと思います。決しておかしいも
のではなく、むしろ素晴らしいことです。
いつまでも大好きな先生として存在してくれるといいですね。
≪規約同意済み≫
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