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私は、以前補聴器のメーカーに勤めていたことがあります。
そこでの聴力検査や、補聴器のフィッテイングなどで、
たくさんの難聴者の人達と出会いました。
難聴者の方は、外見は健常者の人と同じなので
結構、誤解されやすい場合があるのだなということや、
聞こえない事に対する様々な感情があることも、そこではじめて知りました。
そして何よりも一番印象的だったのは、難聴者に限らないのでしょうが、
障害を持っている方は、人の心の本心に敏感だと言うことです。
人の心の一番奥の「愛情」のあるなしを、すぐ見抜いてしまうのです。
これは、すごい能力だとその時は思いましたが、
でもこれは諸刃の剣で、相手の醜くい心も見えてしまうので、
自分の部屋が汚いのと同じように、
それが辛いこともあるのだなあと後で思いました。
そこで、私が考えた事は、
人の本心が見えるのは、とても素晴しい能力なので、なくする必要はないが、
相手の心が見えたときに、自分の心が、ぶれないように訓練をして、
相手の辛い気持ちに共感し、それを癒してあげることが出来るようになれば
その能力が生かせるのではないかということでした。
「寛容」と言う言葉があります。
この精神は、人が目指す心の境涯ではかなり高いレベルだと私は思います。
この「寛容」の精神を獲得出来うる人の条件の一つとして、
人の痛みのわかる事ということがあげられると思います。
苦しみを乗り越えてきた人でなければ、人の痛みはわかりません。
そうやって考えると、今のあなたの障害も、
その先に、人としての大きな仕事が待っていると考えるなら
決して、マイナスばかりとはいえないと思うのです。
悩みや苦しみの中にこそ、その人の持つべき能力が隠されています。
自分やまわりの人を愛するためには「力」が必要です。
そして、その「力」を得るためには、苦労を乗り越える必要があります。
あなたは、「難聴」という問題集を持ってこの世に生まれてきたのだと思います。
そして、この問題集を解いたとき「寛容」という名の愛があなたの心に育って、
きっとまわりの人を幸せにしていると私は確信しています。
自分の可能性を信じて、
自分に与えられたテーマに一生懸命取り組んで欲しいと心から祈ります。
長文乱文申し訳ありません。
失礼的はずれはお許し下さい。
≪規約同意済み≫
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