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▼幸平さん:
>>友達は、「つくる」ものではなく、「出来る」ものです。
>>ですから、無理に「作ろう」とすると、「群れたがる」ことになり、
>>族になるんです。
>>>そして、人間の価値は、友達の「数」で決まるものではありません。
>>たとえ、まったく一人も友人がいなくても、人生の最後の最後に
>>唯一無二の親友が「出来る」ことだって、あるんです。
>
>ご意見に感じ入りました。かなり深く人生経験がおありなんですね。
>
>私の思いを添えさせてもらいますが“友達が出来た”という結果に至る為には、やはり誠意、良心、尽くす心情を持って生きなければならないと思います。そういう心構えでいるうちに、やがて感応する人ができ、よい友人関係になっていくものと思います。
尽くしあいって具体的に何をするんでしょう?尽くしても尽くされなかったらダメですしね。学校や職場とかがその場になるのか知れないけどそこで尽くしあいにしっぱいしたらおわりなんですかね。
一人でがんばってる人が尽くして誠意を持っても良心をもって接してもダメな場合はダメなんじゃないかとおもいます。一人でがんばってると自分を責めがちになります。自分は必要でないようなきになります。だから一人でがんばってる人はそれはそれでがんばって生きていたと認められた証が欲しいです。人間の言葉や心情だけで人が判断されるのも評価されるのにも不安がある。人間の良心は歴史にものこらないし形にも残らない人の心にも残らない。写真にものこらない。何か残そうとする人もいるけど何も残せず死ぬ人もいる。良心を持って生きてても何ものこせづしんでしまう人の事を孤独にしんだとかむなしく死んだとか言うのはその人達の魂をけがしてる。良心のある人間はその人の魂をけがすようなことはしないとおもう。ペットの死はかなしいけど野生の動物が道で引かれてもでも悲しくないってかんじなのかな。道で惹かれて死んでる動物は孤独に死んでしまったということなのか。一人でがんばってても死ぬとき人がいてないとむなしい人生ってなるのが嫌なんです。虚しくなんかない十分頑張ったとなぜならないんだろう?
>そういう意味での尽くしあう人間関係の環境を、学校のような教育段階で造られ
いないことが、結果としてシリアスさんのように孤独感に傷つくような人を作り出してしまうように思います。この点、シリアスさんの気分を害してしまったら、申し訳ないです。
>でも、親友を作り出すためには、尽くす生き方しかありません。もちろん時間はかかりますが、いつか自身の納得のいく結果に至ると思います。
>
≪規約同意済み≫
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