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▼blue+さん、こんばんわ。
少しでも心の負担が軽くなればと言う気持ちで、私の経験を話させていただきます。
私の母も4年ほど前にうつ病になりました。
その頃、私は実家をでて他県で仕事をしながら一人暮らしをしていました。
ある日姉達に、「母がノイローゼの様になってしまってどうしていいかわからないから実家に帰ってきて欲しい。」と言われ、その日の内に仕事の休みをもらい実家に帰ると、母は親戚とのトラブルでまるで人が変わったようになってしまっていました。
表情が暗く、涙もろく、感情の変化が激しく、特に他人に対してまったく信用しなくなってしまっていました。姉の旦那様でもです。
私にはうつ病とパニック障害の知人がいたのでうつ病ではないかと思い、母に病院に行こうと言ったのですが本人が嫌がり行けずじまいで何日か過ぎてしまいました。その事を今でも悔やんでいます。
そしてある日、母は私と姉が寝ている間にお風呂場で自殺未遂を起こしてしまいました。
救急車で病院に運ばれて傷の手当を終えた後、姉の車で半ば強制的に精神科に連れて行きました。先生からは自殺の危険性があるからとの事で強制入院を勧められ、私と父は心に葛藤はあったものの書類にサインをしました。母は泣きながらかすれた声で「入院なんかさせやんといてっ」と付き添っていた私と父に必死で訴える姿が今でも忘れられません。
そして、それを期に私は勤めていた仕事を辞めて実家に戻りました。
入院している間は実家の家事をしながら母の面会に通う毎日でした。面会で会う母は病気が治っているかの様で、退院したらすぐに元の生活に戻れるだろうと思っていました。
でも、大変なのは退院してからでした。
姉は結婚していたので、実家で生活するのは父と私と母の3人でした。
母は家事を何とかしようとするのですが、フライパンを火にかけてもすぐにそれを忘れてしまい他の事をしてしまうので目を離せない状況だったのです。先生からは母を怒る事はしない様にと言われていたし、母の行動を付きっきりで見守るしか方法がありませんでした。
母ができる事はさせてあげて、火を消し忘れていたら消してあげたり声をかけてあげる、愚痴でも何でも話を否定せず聞いてあげる・・・毎日です。
眠剤を飲んでもなかなか寝付けない母は生活リズムも不規則になりがちで、私はいつでも起きれる様に母の布団の隣で座布団で眠る生活でした。
又自殺未遂をするんじゃないかと、母の姿が見当たらない状況が怖かったのです。
2年目に入る頃には抗鬱剤の作用でそう状態になってしまいました。
鬱よりもそう状態の方が大変で、父も母に対して「きちがい」だの「アホ」だのと当たる事が出てきてしまいました。母からは「お父さんはすぐに怒るし、お母さんを馬鹿にしてるから怖い。」と愚痴られ、父からは「お母さんはおかしい。あんなんはもう治らん。」等と愚痴られ、板ばさみで辛かったです。
たぶん今のblue+さんと似たような立場だったのではないでしょうか。
いい加減にして欲しいという気持ちがありましたが、先生からは母を怒らないように言われていましたし父にも協力してもらわないと治るものも治らないと思い、母の愚痴は「うん、うん。」と聞き、父には「お母さんが一番頑張って病気を治そうと辛い思いしてんねんから、解ってあげて。」と言う事にしていました。
そう状態の母は何事にも積極的で、仕事もせず母の傍に居た私に「仕事をしなさい」と言う様になりました。まだ、目が離せなかったので深夜のバイトをしながら母の様子をみるという生活をしばらく続けました。
いつ頃からかは覚えていませんが本人の頑張りで薬を飲まなくても生活できるようになってからは見る見る生活が変わり始め、現在では薬の力を借りず母も正社員で働くまでになりました。
母が病気の真っ只中にいる時は、先も見えずやりきれない気持ちと早く元の母に戻ってもらいたいという一心でした。
ですから、どう対応したらいいのか何をしてはいけないのかを担当の先生に話を聞きそれを実行する努力をしました。もちろん本人の努力が一番なんですが、それを妨害しない努力が家族には必要だったのだと今になって解りました。
この病気で一番不安で、一番辛く、一番頑張っているのは本人なんだと思います。
どうしていいか解らなくなったら、お母さんと一緒にお医者さんに相談してみて下さい。
ダラダラと長くなってしまい、失礼しました。
頑張ってくださいね
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