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せきさん、はじめまして。
決意表明にレスをつけるのは野暮かもしれませんが、貴方の考え方に気になる事があってレスを書かせていただきます。
もちろん、経歴も環境も違う他人の戯言ですから、あまり深く受け止めないでくださいね。
せきさんは、とても聡明で几帳面な方のようですね。道理をわきまえ、社会人としての分別に長ける立派な方です。
そんな貴方にひとつ謎かけです。
「お茶碗とお茶碗をぶつけたら、どうなりますか?」
ご想像の通り、割れて使い物にならなくなります。
運が良ければ硬い方が残り、悪ければふたつとも駄目になってしまいます。
では、心と心をぶつけたなら、どうでしょうか。
世間では「器」に例えて他人を評することがありますよね。
「あの人は器の大きい人だ。」
「器量の良い方だ。」なんて風にです。
私も他人を評して器を例に出す事があります。
しかし、大きさや容貌の良し悪しではなく、私の場合その硬さについてです。
「普通のお茶碗と粘土のお茶碗をぶつけたら、どうなりますか?」
もちろん普通のお茶碗は無傷でしょう。
それは粘土のお茶碗がへこんでくれたことで助かった訳です。
粘土のお茶碗もへこみはしますが、砕けた訳ではなく、元に戻す事ができます。
自分に対して厳しい方は、他人にも同じ厳しさを求めます。
自分がこうしたのだから、相手も同じようにしてくれる事を知らず知らずに期待してしまいます。
今回の件はせきさんが正しく、相手に思いやりがなく自分勝手であることは誰の目にも明らかでしょう。
「自分の行動には責任を持つ」その通りです。ただ行過ぎると、
「安易に他人を信用しない、そして頼らない」と仰る事になります。
人は既に生まれた時から、誰かに頼って生きているのです。
せきさんは、自力でお母さんのお腹から出てきたのですか?
貴方が毎日食べている食べ物は、自力で収穫したものですか?
その洋服は、貴方が糸から紡ぎ縫製したものですか?
誰かに頼り頼られ、信じ信じられる事が世の中なのではないでしょうか。
屁理屈に思われるでしょうが、私は他人に頼ったり、信じたりしていいと思います。
そして自分も頼られたり、信じられたりするものだと。
せきさん、気楽にそして柔らかく物事を考えてみてはいかがでしょうか。
≪規約同意済み≫
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