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≪厳しい意見はご遠慮ください≫
先日起きた「女子児童カッターナイフ事件」では、やはりというか、さもインターネットが事件の原因であるかのような報道がなされた。
この事件の本質は、紛れもなく、日常生活における友人同士のトラブルと、「加減」を知らない・教えない現代教育(家庭教育含む)が原因にある。
しかしマスコミはあくまでもネットを槍玉にあげ、ネットの「非現実性」を指摘し、現実と非現実の区別がつかなくなった子供というのをテーマにし、全く無関係のはずのゲームにまで批判の範囲を拡大する。
だが、そもそも「非現実」とは何か?それよりもネットの対称として使われる「現実世界」とは何か?
ネットをやっている時間も紛れもなく日常生活の一部である。そして、我々はお互い顔も見えないが生身の人間同士で意見の交換をしている。
これがゲームで、プレイヤーがコマンドを入力し、それにゲーム内の架空の人物が答えたのならば、その中でおきたことは非現実だといえよう。
ゲーム内の人物に腹が立って、その人物に似た人を殺したというのならば、まさに現実と非現実の区別がつかない行為ともいえる。
しかし、我々は生身の人間であって架空の人物ではない。
私がこうして書き込んだ内容にも、架空の人物ではなく、生身の人間が返答をくれるのである。書き込んだ私ももちろん実在する人物である。
ならば非現実とは何か?
ネットは通信手段・表現手段の一種である。
新聞に意見を投書するのは現実で、ネットに意見を投書するのは非現実というのは何かしっくり来ないのである。
電話で会話するのは現実で、チャットで会話するのは非現実というのもおかしい。
確かに私が他の記事で述べたように匿名性の問題はある。
しかしこのカッターナイフ殺人事件について考えると、お互いに相手が誰なのかがわかり、相手の詳細についてもよくわかっているのである。
それにも関わらず非現実扱いするのはどうしてだろうか?
本当に不思議でならない。
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