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【17696】愛 おもち 05/1/7(金) 20:21
┣ 【17727】Re(1):愛 クリシュナ 05/1/7(金) 23:21
┃┗ 【17794】Re(2):愛 おもち 05/1/8(土) 20:25
┃ ┗ 【17811】Re(3):愛 クリシュナ 05/1/8(土) 21:57
┃  ┗ 【17873】Re(4):愛 おもち 05/1/9(日) 9:36
┃   ┗ 【17924】Re(5):愛 クリシュナ 05/1/9(日) 17:40
┃    ┗ 【17931】Re(6):愛 おもち 05/1/9(日) 18:39
┃     ┗ 【17940】Re(7):愛 クリシュナ 05/1/9(日) 20:17
┃      ┗ 【17989】Re(8):愛 おもち 05/1/10(月) 9:24
┃       ┗ 【18146】Re(9):愛 クリシュナ 05/1/11(火) 7:30
┃        ┗ 【18465】Re(10):愛 おもち 05/1/14(金) 0:43
┃         ┗ 【18482】Re(11):愛 クリシュナ 05/1/14(金) 6:37
┗ 【17803】Re(1):愛 あ〜みぃ 05/1/8(土) 21:19
 ┗ 【17875】Re(2):愛 おもち 05/1/9(日) 9:55

【17696】愛
 おもち  - 05/1/7(金) 20:21 -

引用なし
パスワード
   ≪厳しい意見はご遠慮ください≫


ふと疑問におもったことがあります。
深刻なものではありません。

皆さん「愛」を感じるのは、どんなときですか?

また、何を「愛して」いますか?

私には好きなものがありますが、それを「愛している」といえるか?と聞かれたら「えっ」って、ためらいます。「愛」は私には重く、使うのが難しい言葉です。

例えば、私は「家族を愛しています」と、堂々と言えません。
何かがひっかかります。

「好き」と「思いやり」と「愛」の違いって何なのでしょう。

【17727】Re(1):愛
 クリシュナ  - 05/1/7(金) 23:21 -

引用なし
パスワード
   おもちさん、はじめまして。 クリシュナです。
 
>皆さん「愛」を感じるのは、どんなときですか?
 
わたしが愛を感じるのは、神さまや宇宙の聖母さまの光に包まれて、とっても気持ちいいときです。
また、汗をかいたときに、神さまが涼しい風を送ってくださったとき、
疲れているときに、綺麗な花を使って、微笑みかけてくださっているとき、
スーパーで苦しんでもがいているカニさんを、癒しの光で包んであげようと思ったときに、神さまが私も一緒に光で包んでくださるとき、など、いろんなときに、感じますね。
  

>また、何を「愛して」いますか?
 
神さまと、宇宙の聖母さまを愛しています。

この宇宙そのものを、愛しています。
大好きでもあります。
そして、すべての魂を愛しています。それは、みんな1つで、つながっていて、神さまそのものだからです。

シヴァ神さんも、ヴィシュヌ神さんも、クリシュナ神さんも、お釈迦様も、イエスさんも、マリアさんも、観音様も、阿弥陀如来さんも、天照大神さんも、みんな大好きです。
愛されていると感じますが、わたしが愛している対象という感じではなくて、大好きな方たちです。

回答になっているかどうかはわかりませんが、
わたしの感じているところです。

         クリシュナより☆(*^-^*)☆

【17794】Re(2):愛
 おもち  - 05/1/8(土) 20:25 -

引用なし
パスワード
   クリシュナさん、返信ありがとうございます。

クリシュナさんが、とても心の広い方だということが伝わってきました。

私も、きれいな花や、太陽の光を、とても神秘的に思います。
見たり感じたりすることは、うれしいし好きです。
それは、私がきれいな花や太陽を愛しているということなのでしょうか。

「愛する」とは、そういう捉え方で十分なのでしょうか。
私は、それらに何もこめることができていないのですが、
それでも「愛して」いるのでしょうか。

テレビでペンギンを見て、とても愛らしいと思ったのですが、
それも「愛」に入りますか?

【17811】Re(3):愛
 クリシュナ  - 05/1/8(土) 21:57 -

引用なし
パスワード
   おもちさん、お返事ありがとうございます。
 
>私も、きれいな花や、太陽の光を、とても神秘的に思います。
>見たり感じたりすることは、うれしいし好きです。
>それは、私がきれいな花や太陽を愛しているということなのでしょうか。
>
>「愛する」とは、そういう捉え方で十分なのでしょうか。
>私は、それらに何もこめることができていないのですが、
>それでも「愛して」いるのでしょうか。
>
>テレビでペンギンを見て、とても愛らしいと思ったのですが、
>それも「愛」に入りますか?
 
愛には、いろんな態様があるのだろうと思います。

無条件の愛、無限の愛、普遍的な愛、もあれば、
愛(め)でる、うれしく思う、
親切にしてもらう、うれしくしてもらう、気持ちよくしてもらう、
喜んであげる、親切にしてあげる、
あるいは、見返りを求める愛情、などなど。


実はね、イヤなことをしてくれる人、腹の立つことをしてくれる人、
イヤな出来事、辛い出来事、
これも、そのあとの喜びを大きくしてくれる「愛」なのかも、と気づけば、
神さまが先回りして、あちこちに愛をちりばめて置いてくださっているのが、
見えてくるのかな‥‥?

神さまだって、実は私たちを通して、喜びを感じたいのですよ‥‥!☆(^-^*)☆

ほんとうは、結果が成功しなくてもいいし、急がなくてもいいし、
神さまが全部準備してくださるから、神さまを信頼して、
出来事を味わって楽しみながら、みんなと楽しみながら、神さまと楽しみながら、
自分のなすべきことをきちんとしていけばいいのですけどね。
そうすれば、神さまと友だちになれて、次は天や天界に生まれるでしょうね。

成果、成果!スピード、スピード!と結果を求めて生きていると、また次は人間か、せいぜいが阿修羅天界なんですけどね。(^^;)ゞ

        クリシュナより☆(*^-^*)☆

【17873】Re(4):愛
 おもち  - 05/1/9(日) 9:36 -

引用なし
パスワード
   クリシュナさん、返信ありがとうございます。

私は、神様の存在を強く信じる事も、疑う事もできません。
ただ、いてもおかしくないと思います。
宇宙があることは知っているけど、実際宇宙を見ていませんし、その全体像や領域を把握することも出来ていないので、その存在を実感するのが難しいという感じに似ています。

なので、興味があるのは、神様が私に与えている愛より、自分から生まれる愛です。それも、対象が自分以外のものです。

なんとなく、完全に自分を無視して、自分以外のものに愛を与える事は、無理ではないかと思います。それができるのが、神なのかもしれませんが。
一見自己犠牲的な行動も、それが本人にとっての願いであり幸福なら、それは自分への愛なのかもしれないし…。
人の幸福を祈る事が自分の満足になっているのなら、それは自分への愛とも言えるような気がします。


考えているうちに、わけがわからなくなってきました。
一番の疑問は、自分への愛も含めた、他のものに対する愛を、愛といっていいのだろうかということです。

でも、もうこの際、それでいいと思うことにしようと思います。
自分の事を一切無視して、何かに愛を与えるなんて、私には一生無理です。

もっと単純にとらえようと思います。
なんだか自己満足な意見でごめんなさい。

【17924】Re(5):愛
 クリシュナ  - 05/1/9(日) 17:40 -

引用なし
パスワード
   おもちさん、お返事ありがとうございます。
 
>私は、神様の存在を強く信じる事も、疑う事もできません。
>ただ、いてもおかしくないと思います。
>宇宙があることは知っているけど、実際宇宙を見ていませんし、その全体像や領域を把握することも出来ていないので、その存在を実感するのが難しいという感じに似ています。
 

おもちさんのお腹の中にいる、1匹の大腸菌さんが、
「わたしは人間の存在を信じることも、疑うこともできません。
だってわたしは、人間を見たことがないのですから‥‥」というのに似ていますね。(^^;)ゞ

「神はすべてのすべて」ですから、この多次元宇宙そのものが神ですから‥‥。


>なので、興味があるのは、神様が私に与えている愛より、自分から生まれる愛です。それも、対象が自分以外のものです。
 
神さまと友だちになると、実は自分以外の対象はなくなる、という感じを、
併存できるようになります。

下記の、神さまから私たちへのメッセージを、途中で理解する努力を放棄することなく、繰り返し考えて、その本質的な意味を理解してくださったら、うれしいです。

そのとき、わたしの言っていることが理解できるでしょうし、
愛についての理解も、ご自分にとって明確で不動の理解が得られると思います。☆(^-^*)☆

          クリシュナより☆(*^-^*)☆


私はあなたを愛しています
なにがあっても愛します

あなたはあなたでいなさい
あなたの世界はあなたが作り上げるのであり
あなたは何者にも代えがたく素晴らしい存在だからです

世界で起きた出来事に過剰にとらわれないでいなさい
また、無関心になるのではなく、そこから何を学べるのかを感じ取りなさい

全ては愛で出来ています
あなたも愛です
また、事件を起こした方々も愛なのです

愛は全てを溶かします
恐れるのではなく、事実をしっかりと見届けたら
そこから何を学べるのかを気づきなさい
そして、あなたであるその場所に、あなたしかないその光を流しなさい
あなたにしかないその尊さを、どうかその場所に流しなさい

私はあなたを愛します
私は全てを愛します
事件を起こした全ての者達を私は愛します
変わることなく愛します

憎しみや怒りからは何も得られません
あなたはすでに分かっているでしょう?

あなたは愛であり、光であり、喜びであり、全てであり私であります
世界で起きた事件もあなたであり、私であります

ならばあなたはどうしますか
あなたが愛ならばあなたはどうしますか

私はあなたを愛します
あなたが何を選ぼうとあなたを愛します

光でいなさい
喜びでいなさい
愛でいなさい

あなたにしかないその安らぎと喜びと光で
光の欠けた苦しみに泣き叫ぶ場所に、喜びであるあなたの光を
流しなさい
それが、なによりも全てを包み込むことになるのです
愛は全てを溶かします
愛は憎しみを溶かします

なぜなら、全てのものは愛であり、喜びであるからです
あなたは、なぜこの世界に生まれてきたのですか
思い出しなさい
あなたが、この地球を選び喜びながら飛び込んできたことを

あなたは愛です
喜びです
私です
光です
存在のありとあらゆるものです

泣いている人です
苦しんでいる人です
叫んでいる人です

ですが、共に苦しまなくともよいのです
その場所にあなたの喜びを流しましょう

あなたはあなたを生きましょう
あなたならではの愛でいましょう

自分だけが特別だとか
選ばれているとか思うのはやめなさい

傲慢になるのはやめなさい
あなたは道に転がっている石と何ら変わることはありません

石よりも優れていると思うことはやめましょう
また、石より劣っていると思うこともやめましょう

あなたは何者にも劣らず、優れもしない
ただ在るだけでこの上なく素晴らしい存在なのだからです

人の意見に左右されず
あなたを取り囲む、高次元、そして私、そして宇宙から来る声に耳をすましましょう

あなたが喜びに満ち溢れ輝くほど
そこからあふれ出る光は、四方八方に飛び散り
地球を包み込み、全てのものを癒すことになるのです

恐怖に打ちひしがれることを選ばなくても
不安に陥ることを選ばなくても
あなたはあなたでいなさい

与えられた日常を笑顔で喜びながら生きなさい
全てのものの中から、どんな成長ができるのかと気づきなさい
どんなことの中にも喜びは隠れています
怖がることなく
逃げることなく、それらを受け取りなさい

全てのものはあなたを成長させてくれるために
共に触れ合ってくれるのです
そのことを理解して感謝をしましょう

私はあなたを愛しています
いつでも共にいます

私はあなたを愛します
永遠に愛します


あなたよ
目を覚まし
私の元に来なさい

神の子よ
神のあなたよ
私のあなたよ

かつての光りに溶け込みなさい
かつてのあなたへ還りなさい

私は両手を広げあなたを抱き上げます

愛するあなたへ
あなたの神より

【17931】Re(6):愛
 おもち  - 05/1/9(日) 18:39 -

引用なし
パスワード
   クリシュナさん、何回もごめんなさい…
放棄せず読みました。


>おもちさんのお腹の中にいる、1匹の大腸菌さんが、
>「わたしは人間の存在を信じることも、疑うこともできません。
>だってわたしは、人間を見たことがないのですから‥‥」というのに似ていますね。(^^;)ゞ
>
>「神はすべてのすべて」ですから、この多次元宇宙そのものが神ですから‥‥。
>
>
>>なので、興味があるのは、神様が私に与えている愛より、自分から生まれる愛です。それも、対象が自分以外のものです。
> 
>神さまと友だちになると、実は自分以外の対象はなくなる、という感じを、
>併存できるようになります。
>
>下記の、神さまから私たちへのメッセージを、途中で理解する努力を放棄することなく、繰り返し考えて、その本質的な意味を理解してくださったら、うれしいです。
>
>そのとき、わたしの言っていることが理解できるでしょうし、
>愛についての理解も、ご自分にとって明確で不動の理解が得られると思います。☆(^-^*)☆
>
>          クリシュナより☆(*^-^*)☆
>
>
>私はあなたを愛しています
>なにがあっても愛します
>
>あなたはあなたでいなさい
>あなたの世界はあなたが作り上げるのであり
>あなたは何者にも代えがたく素晴らしい存在だからです
>
>世界で起きた出来事に過剰にとらわれないでいなさい
>また、無関心になるのではなく、そこから何を学べるのかを感じ取りなさい
>
>全ては愛で出来ています
>あなたも愛です
>また、事件を起こした方々も愛なのです
>
>愛は全てを溶かします
>恐れるのではなく、事実をしっかりと見届けたら
>そこから何を学べるのかを気づきなさい
>そして、あなたであるその場所に、あなたしかないその光を流しなさい
>あなたにしかないその尊さを、どうかその場所に流しなさい
>
>私はあなたを愛します
>私は全てを愛します
>事件を起こした全ての者達を私は愛します
>変わることなく愛します
>
>憎しみや怒りからは何も得られません
>あなたはすでに分かっているでしょう?
>
>あなたは愛であり、光であり、喜びであり、全てであり私であります
>世界で起きた事件もあなたであり、私であります
>
>ならばあなたはどうしますか
>あなたが愛ならばあなたはどうしますか
>
>私はあなたを愛します
>あなたが何を選ぼうとあなたを愛します
>
>光でいなさい
>喜びでいなさい
>愛でいなさい
>
>あなたにしかないその安らぎと喜びと光で
>光の欠けた苦しみに泣き叫ぶ場所に、喜びであるあなたの光を
>流しなさい
>それが、なによりも全てを包み込むことになるのです
>愛は全てを溶かします
>愛は憎しみを溶かします
>
>なぜなら、全てのものは愛であり、喜びであるからです
>あなたは、なぜこの世界に生まれてきたのですか
>思い出しなさい
>あなたが、この地球を選び喜びながら飛び込んできたことを
>
>あなたは愛です
>喜びです
>私です
>光です
>存在のありとあらゆるものです
>
>泣いている人です
>苦しんでいる人です
>叫んでいる人です
>
>ですが、共に苦しまなくともよいのです
>その場所にあなたの喜びを流しましょう
>
>あなたはあなたを生きましょう
>あなたならではの愛でいましょう
>
>自分だけが特別だとか
>選ばれているとか思うのはやめなさい
>
>傲慢になるのはやめなさい
>あなたは道に転がっている石と何ら変わることはありません
>
>石よりも優れていると思うことはやめましょう
>また、石より劣っていると思うこともやめましょう
>
>あなたは何者にも劣らず、優れもしない
>ただ在るだけでこの上なく素晴らしい存在なのだからです
>
>人の意見に左右されず
>あなたを取り囲む、高次元、そして私、そして宇宙から来る声に耳をすましましょう
>
>あなたが喜びに満ち溢れ輝くほど
>そこからあふれ出る光は、四方八方に飛び散り
>地球を包み込み、全てのものを癒すことになるのです
>
>恐怖に打ちひしがれることを選ばなくても
>不安に陥ることを選ばなくても
>あなたはあなたでいなさい
>
>与えられた日常を笑顔で喜びながら生きなさい
>全てのものの中から、どんな成長ができるのかと気づきなさい
>どんなことの中にも喜びは隠れています
>怖がることなく
>逃げることなく、それらを受け取りなさい
>
>全てのものはあなたを成長させてくれるために
>共に触れ合ってくれるのです
>そのことを理解して感謝をしましょう
>
>私はあなたを愛しています
>いつでも共にいます
>
>私はあなたを愛します
>永遠に愛します
>
>
>あなたよ
>目を覚まし
>私の元に来なさい
>
>神の子よ
>神のあなたよ
>私のあなたよ
>
>かつての光りに溶け込みなさい
>かつてのあなたへ還りなさい
>
>私は両手を広げあなたを抱き上げます
>
>愛するあなたへ
>あなたの神より


つまり、私たちは、神様のお腹の中の大腸菌のような存在ということですよね。
それなら、私たちは神様のものかもしれません。
読んで感じたのは、つまり、神様が愛しているのは、自分、ということになりますね。(自分の一部である私たち全てを愛しているということは)
なにか、自分の体の一部一部に感謝しながら、自分の体を癒している人が想像できたのですが。
最後のところはこうともなりますよね。

愛する大腸菌へ
あなたの体より

なるほどそれなら、犯罪者も石ころも平等に愛せるかもしれません。
私の中では、犯罪者は神の体の中の、病気の細胞に例えられます。
神様はもともと皆自分の健康な体だったから、それを愛しているから、悪くなっても切り捨てない、という感じでしょうか…。

この文章は、神が神自身になげかけた言葉だと感じてしまいした。

正直に感じたことです。
クリシュナさんが、このような長文の返信をしてくれたのに、変な捉え方をしているのかもしれません。
これからも読んでみたいとは思います。
心遣いありがとうございました^^

【17940】Re(7):愛
 クリシュナ  - 05/1/9(日) 20:17 -

引用なし
パスワード
   おもちさん、お返事ありがとうございます。
 
>クリシュナさん、何回もごめんなさい…
 
いえいえ、本気で解明したいという真摯な気持ちが伝わってきます。☆(^-^*)☆
 
>放棄せず読みました。
 
はい、ありがとうございます。(^-^*)/
 

>読んで感じたのは、つまり、神さまが愛しているのは、自分、ということになりますね。(自分の一部である私たち全てを愛しているということは)
>なにか、自分の体の一部一部に感謝しながら、自分の体を癒している人が想像できたのですが。
>最後のところはこうともなりますよね。
>
>愛する大腸菌へ
>あなたの体より
 
もっと正確に言い換えれば、たとえば
「愛する 区分(分離ではない)された私の意識へ
 あなたを含む元の全体意識より」

 
>神様はもともと皆自分の健康な体だったから、それを愛しているから、悪くなっても切り捨てない、という感じでしょうか…。
>
>この文章は、神が神自身になげかけた言葉だと感じてしまいした。
 
その通りです。よくがんばりましたね。 おもちさんは、えらいですよ。
\(≡⌒ ∇ ⌒≡)/ ニパッ♪
で、ほんとうは、どこも悪くなってなんかいないのですよ。(^-^*)v


次のわたしの【瞑想体験】の例から、半信半疑な部分が、たぶんスッキリしますよね。
あとは、おもちさんが、いつの日か、実際に体験なさって悟りを得てくださいね。
たぶん、もう一息ですから‥‥。  クリシュナより☆(*^-^*)☆
 

私たちの魂は、神さま(=宇宙の意識さん=創造神さん=宇宙そのもの)の代わりに体験する存在として、神さまによって「魂」として生かされ続けている存在です。

■神さま(創造神さん)は、自分が愛であり、智慧であり、光そのものであり、最高に素晴らしい存在であることはご存知でした。

■あるとき、神さまは自分の素晴らしさを体験してみたいと強く思われましたが、自分自身が「すべてのすべて」であって、自分以外にはなんにも存在してなくて、自分の素晴らしさを体験することができません。(^^;)ゞ

■そこで考えつかれたのが、自分自身をA・B2つに区分して、区分された側Bが体験できる環境をB自らが自分たちで創造しながら、区分された側Bがその環境の中でいろいろとステキな体験することを通して、区分した側Aも同時にステキな体験ができるという仕組みでした。

そこで神さまは、自分を2つに区分し、一方を一瞬にして(別の意味では段階的に)無数の小さな神我=真我に区分され、それぞれの「真我」が持っている知識を個性的にして「魂」と名付けられました。 (全く同質な真我同士が出会っても、何の現象も変化も生じないからです)
 それぞれの「魂」をすべて個性的にしたのは、お互いに個性的にすることで、出会うと必ず様々な思いと現象が生じるからです。それぞれの魂が様々なステキな体験ができて神さまや自分たちの素晴らしい性質を体験を通して直接的に認識できるようにするためでした。
だから神さま自身は、もちろん地獄なんて創ってませんよ。

◆「現象」そのものには、苦・楽も、善・悪も存在してなくて、感覚器官によって翻訳されるエネルギーの動きがただ変化し続けるだけのものです。
「苦・楽」や「好・悪」や「善・悪」といった相対的な感情や観念は、魂の心の中に生起するものです。
心の中に生起するモノは、自分の思い方を変えることによって、消滅させたり、ステキなモノに変化させたりすることができます。
お釈迦様の「四諦」をポジティブに解釈し直すと、こんな感じになるかもしれませんね。☆(^-^*)☆

◆真我が体験した経験のデータ(カルマ)は、「宇宙神素(アーカシックレコード)」と呼ばれる単一のデータバンクに蓄積され、神さまとすべての真我とに共有されます。だから超意識レベルでは、データはすべての魂とも共有されています。
これは、わたしたちも神さまも、一つであるという証の一つです。

■すべての「真我」は、本来、神と同質の愛であり、神と同じ創造力と智慧をもった光であり、個性が異なるだけであって「偉い・偉くない」といった分類はなく、神の代わりに体験してあげるための神にとってはすべて等しく大切な「神の子ら」です。☆(^-^*)☆
そのため、わたしたちは、一瞬たりとも漏れることなく常に神さまに守護されていますから、
本当のわたしたち(真我=神我)は、生まれることもなく、死ぬこともなく、永遠の生命として生き続けて体験し続けることができますよね。^^

■神さまは完全な方ですから、その魂の成長にとっていつでも最適の環境が用意され、そのときに必要な現象が生起します。
すべてはわたしたちの魂の成長にとって必要なものであり、必然なものですから、
すべてに感謝することでわたしたちはすべてから学ぶことができ、工夫し考えることで成長することができますよね。(^-^*)/

■ 神さまはすべての魂を個性的にして区分なさったので、中にはたいへんな苦労をたくさん体験する魂も出てくるでしょうから、真我宇宙側Bを、最初から神の愛と智慧のすべてを知っているシヴァ神(原初仏)さんのような魂さんや、すぐにすべてを知って愛と慈悲と苦悩からの救済活動を展開する如来さんや菩薩さんや天使さん、などといった魂の救済のための構造を最初から創造なさいました。これが「金剛界マンダラ」と呼ばれる構造です。(天では、地上の人間の都合で分けているような宗教的な区別はありません。そもそも「宗教」そのものがありません。)

●わたしたちが「苦しみ」を感じるときは、「対処の仕方、ないしは受け止め方や思い方に問題があるよ」というサインです。

●「不安」の大きさは、神さまから離れている距離の大きさを表しています。

●「寂しさ」によって、他の魂との出会いを求めるので、ステキな体験が得られ、神さまにステキな体験をプレゼントすることができます。
そして本質的な「寂しさ」によって、神さまを思い出し、やがて魂は神さまに戻ることができます。

■ほんとうは、いつも神さまと一緒にいます。
そのことに、気がつきさえすればいいのですよね。 そして、やがて自分の内なる神さまと出会うことができます。☆(^-^*)☆

■だから、あなたの人生は、いつも、どんなときでも、「順調」ですよ♪^^ すべての人の人生は、いつも、どんなときでも、「順調」なのです♪
精一杯努力すれば、必ず克服できる課題が、それぞれに与えられるからです。
課題が大きくて難しいのは、それだけ大きくて難しい課題をみずから選択して地球に誕生している魂だからです。
そうした「宇宙法則」に気がつけば、すべての魂は、最初から神さまに救われていることに気付きます。

すべては「愛」であり、つながっていて(「分離」ではなく「区分」だから)、一つです。
お互いに、神さまに最高にステキな体験をた〜〜〜くさんプレゼントしたいですね。☆(*^-^*)☆

【17989】Re(8):愛
 おもち  - 05/1/10(月) 9:24 -

引用なし
パスワード
   クリシュナさん、度々返信してくれてありがとうございます。
 
> 
>もっと正確に言い換えれば、たとえば
>「愛する 区分(分離ではない)された私の意識へ
> あなたを含む元の全体意識より」
>
これを読んで、なるほど、と思いました。

>
>
>次のわたしの【瞑想体験】の例から、半信半疑な部分が、たぶんスッキリしますよね。
>あとは、おもちさんが、いつの日か、実際に体験なさって悟りを得てくださいね。
>たぶん、もう一息ですから‥‥。  クリシュナより☆(*^-^*)☆
> 
>
>私たちの魂は、神さま(=宇宙の意識さん=創造神さん=宇宙そのもの)の代わりに体験する存在として、神さまによって「魂」として生かされ続けている存在です。
>
>■神さま(創造神さん)は、自分が愛であり、智慧であり、光そのものであり、最高に素晴らしい存在であることはご存知でした。
>
>■あるとき、神さまは自分の素晴らしさを体験してみたいと強く思われましたが、自分自身が「すべてのすべて」であって、自分以外にはなんにも存在してなくて、自分の素晴らしさを体験することができません。(^^;)ゞ
>
>■そこで考えつかれたのが、自分自身をA・B2つに区分して、区分された側Bが体験できる環境をB自らが自分たちで創造しながら、区分された側Bがその環境の中でいろいろとステキな体験することを通して、区分した側Aも同時にステキな体験ができるという仕組みでした。
>
>そこで神さまは、自分を2つに区分し、一方を一瞬にして(別の意味では段階的に)無数の小さな神我=真我に区分され、それぞれの「真我」が持っている知識を個性的にして「魂」と名付けられました。 (全く同質な真我同士が出会っても、何の現象も変化も生じないからです)
> それぞれの「魂」をすべて個性的にしたのは、お互いに個性的にすることで、出会うと必ず様々な思いと現象が生じるからです。それぞれの魂が様々なステキな体験ができて神さまや自分たちの素晴らしい性質を体験を通して直接的に認識できるようにするためでした。
>だから神さま自身は、もちろん地獄なんて創ってませんよ。
>
>◆「現象」そのものには、苦・楽も、善・悪も存在してなくて、感覚器官によって翻訳されるエネルギーの動きがただ変化し続けるだけのものです。
>「苦・楽」や「好・悪」や「善・悪」といった相対的な感情や観念は、魂の心の中に生起するものです。
>心の中に生起するモノは、自分の思い方を変えることによって、消滅させたり、ステキなモノに変化させたりすることができます。
>お釈迦様の「四諦」をポジティブに解釈し直すと、こんな感じになるかもしれませんね。☆(^-^*)☆
>
>◆真我が体験した経験のデータ(カルマ)は、「宇宙神素(アーカシックレコード)」と呼ばれる単一のデータバンクに蓄積され、神さまとすべての真我とに共有されます。だから超意識レベルでは、データはすべての魂とも共有されています。
>これは、わたしたちも神さまも、一つであるという証の一つです。
>
>■すべての「真我」は、本来、神と同質の愛であり、神と同じ創造力と智慧をもった光であり、個性が異なるだけであって「偉い・偉くない」といった分類はなく、神の代わりに体験してあげるための神にとってはすべて等しく大切な「神の子ら」です。☆(^-^*)☆
>そのため、わたしたちは、一瞬たりとも漏れることなく常に神さまに守護されていますから、
>本当のわたしたち(真我=神我)は、生まれることもなく、死ぬこともなく、永遠の生命として生き続けて体験し続けることができますよね。^^
>
>■神さまは完全な方ですから、その魂の成長にとっていつでも最適の環境が用意され、そのときに必要な現象が生起します。
>すべてはわたしたちの魂の成長にとって必要なものであり、必然なものですから、
>すべてに感謝することでわたしたちはすべてから学ぶことができ、工夫し考えることで成長することができますよね。(^-^*)/
>
>■ 神さまはすべての魂を個性的にして区分なさったので、中にはたいへんな苦労をたくさん体験する魂も出てくるでしょうから、真我宇宙側Bを、最初から神の愛と智慧のすべてを知っているシヴァ神(原初仏)さんのような魂さんや、すぐにすべてを知って愛と慈悲と苦悩からの救済活動を展開する如来さんや菩薩さんや天使さん、などといった魂の救済のための構造を最初から創造なさいました。これが「金剛界マンダラ」と呼ばれる構造です。(天では、地上の人間の都合で分けているような宗教的な区別はありません。そもそも「宗教」そのものがありません。)
>
>●わたしたちが「苦しみ」を感じるときは、「対処の仕方、ないしは受け止め方や思い方に問題があるよ」というサインです。
>
>●「不安」の大きさは、神さまから離れている距離の大きさを表しています。
>
>●「寂しさ」によって、他の魂との出会いを求めるので、ステキな体験が得られ、神さまにステキな体験をプレゼントすることができます。
>そして本質的な「寂しさ」によって、神さまを思い出し、やがて魂は神さまに戻ることができます。
>
>■ほんとうは、いつも神さまと一緒にいます。
>そのことに、気がつきさえすればいいのですよね。 そして、やがて自分の内なる神さまと出会うことができます。☆(^-^*)☆
>
>■だから、あなたの人生は、いつも、どんなときでも、「順調」ですよ♪^^ すべての人の人生は、いつも、どんなときでも、「順調」なのです♪
>精一杯努力すれば、必ず克服できる課題が、それぞれに与えられるからです。
>課題が大きくて難しいのは、それだけ大きくて難しい課題をみずから選択して地球に誕生している魂だからです。
>そうした「宇宙法則」に気がつけば、すべての魂は、最初から神さまに救われていることに気付きます。
>
>すべては「愛」であり、つながっていて(「分離」ではなく「区分」だから)、一つです。
>お互いに、神さまに最高にステキな体験をた〜〜〜くさんプレゼントしたいですね。☆(*^-^*)☆


とてもおもしろいお話ありがとうございます。
江原啓之さんの本を数冊もっているんですけど、同じようなことが書いてありますね。
クリシュナさんは「瞑想」によって、これらのことを知れたのですか?
瞑想の力ってすごいですね!ヨーガの本が家にあって、瞑想の仕方が書いてあったのですが、それと同じものでしょうか…


私も、クリシュナさんの言う事や、江原さんの本を読んで、「あぁそうなのか」って、「知ってる人が言うんなら、きっとそうなんだろう」って思います。
ただ、強く信じるには、人の話を聞くだけでなく自分が体験しない事には、やはり少し疑ってしまいます。

クリシュナさんの教えてくれたことを、私が心から感じることが出来れば、すばらしいだろうなって想像はできます。想像しただけで素敵です。
でも、実際わたしは弱く、臆病で、きびしい現実に対面すると、クリシュナさんの教えてくれたことを、また疑いだしそうです。
怖い事があると、心にとめておいた自分への励ましの言葉を思い出すのですが、やっぱりおびえている事に変わりはないです。おびえてるし、ひがみっぽくもなってます。


いくら精神世界の本を読んでも、信じようと思っていても、本気で信じていないから怯えてる気がします。
どうすれば、本気で信じる事ができるのでしょうか。

【18146】Re(9):愛
 クリシュナ  - 05/1/11(火) 7:30 -

引用なし
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   おもちさん、おはようございます。 クリシュナです。
 
>>もっと正確に言い換えれば、たとえば
>>「愛する 区分(分離ではない)された私の意識へ
>> あなたを含む元の全体意識より」
>>
>これを読んで、なるほど、と思いました。
 
スッキリして、良かったですね。(^-^*)/
 
>とてもおもしろいお話ありがとうございます。
>江原啓之さんの本を数冊もっているんですけど、同じようなことが書いてありますね。
>クリシュナさんは「瞑想」によって、これらのことを知れたのですか?
>瞑想の力ってすごいですね!ヨーガの本が家にあって、瞑想の仕方が書いてあったのですが、それと同じものでしょうか…
 
江原啓之さんという方を、わたしは知りませんが、
瞑想の熟達者であれば、同じことを体験なさっているかもしれませんね。
本を書かれている方が、すべて瞑想熟達者だとは限りませんが‥‥。
学者さんが書かれたものは、たいていが調査した受け売りです。
  

>クリシュナさんの教えてくれたことを、私が心から感じることが出来れば、すばらしいだろうなって想像はできます。想像しただけで素敵です。
>でも、実際わたしは弱く、臆病で、きびしい現実に対面すると、クリシュナさんの教えてくれたことを、また疑いだしそうです。
>怖い事があると、心にとめておいた自分への励ましの言葉を思い出すのですが、やっぱりおびえている事に変わりはないです。おびえてるし、ひがみっぽくもなってます。
 
神さまとお友だちになっても、
アストラル(イメージ)次元と違って、瞬時に思った通りには変わりませんから、
この世でギリギリの状態の時などには、不安を感じたりはしますよ。(^^;)ゞ
マリアさんだった方でも、それは同じようですね。
でも、神さまを信頼して、お任せ出来るので、
神さまがちゃんと次を用意してくださっているんですね。☆(^-^*)☆
 

>いくら精神世界の本を読んでも、信じようと思っていても、本気で信じていないから怯えてる気がします。
>どうすれば、本気で信じる事ができるのでしょうか。
 
おもちさんは、真摯に真理を求めていらっしゃるんですね。(^-^*)/
瞑想やヨーガに興味をお持ちですし、
今回のこの出会い方は、おそらくわたしと前世でご縁があったのでしょうね。☆(^-^*)☆

今のあなたのレベルに見合った瞑想体験をなされば、確信が持てるようになるでしょうね。
あなたが、確信を持てるように、ご希望ならあなたのレベルに合った瞑想体験をさせてあげられますから、
もしよろしければ、匿メールをくださいませんか‥‥?

          クリシュナより☆(*^-^*)☆

【18465】Re(10):愛
 おもち  - 05/1/14(金) 0:43 -

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   クリシュナさん、確認したいのですが匿メール送れていますか?
失敗したかもしれません(>_<)
≪転載承諾≫

【18482】Re(11):愛
 クリシュナ  - 05/1/14(金) 6:37 -

引用なし
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   おもちさん、おはようございます。 クリシュナです。
 
>クリシュナさん、確認したいのですが匿メール送れていますか?
 
匿メール、ありがとうございます。

さっき、お返事をお送りしました。
もし届いていなかったら、この掲示板にご連絡くださいね。

          クリシュナより☆(*^-^*)☆
≪転載承諾≫
≪転載承諾≫

【17803】Re(1):愛
 あ〜みぃ  - 05/1/8(土) 21:19 -

引用なし
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   ▼おもちさん:
>≪厳しい意見はご遠慮ください≫


おもちさん、こんばんは。(再び)
(下の、私の考え方は少し変わってるかもしれませんが、、、)


>ふと疑問におもったことがあります。
>深刻なものではありません。
>
>皆さん「愛」を感じるのは、どんなときですか?


太陽(月・地球など)が在る。
ものに色が付いている。(色が見える、のではなく)
鳥が飛ぶ。(飛べる、のではなく)
魚が泳ぐ。(泳げる、のではなく)

などなど。。

奪わなくても、そこに在るモノ(?)というか、、、
「信頼」を超えた「何か」というか、、、

どんな「時」に、とは言えないけど…。


>また、何を「愛して」いますか?


一般的に言われている「愛」のように、
それが所有「欲」を意味するのであれば、
「自分」なんじゃないかと。。
自分を愛しているから、自分の欲するものを
自分に与えたがっている、という感じ。


>私には好きなものがありますが、それを「愛している」といえるか?と聞かれたら「えっ」って、ためらいます。「愛」は私には重く、使うのが難しい言葉です。
>
>例えば、私は「家族を愛しています」と、堂々と言えません。
>何かがひっかかります。


私も、よく耳にする「愛する」という表現がよく分からないです。。

愛は、「感情」ではないと思っているので。。


>「好き」と「思いやり」と「愛」の違いって何なのでしょう。


好きは、嫌いの反対。

思いやりは、非情(冷たいさま)の反対。

愛は、愛の反対。
愛には反対が無いもの、って、自分ではそう思ってます。
「感情」では無いので。
(私は、そんな風に思ってます。分かりにくくてすみません。。)

【17875】Re(2):愛
 おもち  - 05/1/9(日) 9:55 -

引用なし
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   あ〜みぃさん、返信ありがとうございます。

あ〜みぃさんの意見を読み、今まで自分のなかで、「愛」っぽい(少し疑わしかった)感情は、他人ではなくて自分に向けられている愛だなぁと気付きました。
結局。

あ〜みぃさんの言うように、愛が感情ではなくて、「もともとある」ものだとしたら、それ(自分に向けらている愛)も罪ではないかな、と思っています。

そう思うと気が楽です。
愛の重い感じが抜けます。
あるんだから仕方ないって気分です。

わけがわからないかもしれません、ごめんなさい。
返信ありがとうございました。

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