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厳しい意見も可とのことですので、あえて書かせていただきますが、どうも貴方の文章を読んでいる限りでは、現状では「無理」ではないかと考えられます。以下その理由を述べていきます。
貴方は面倒くさいかどうかで行動するかどうか……というよりは成果をあげるかどうかというのを決定している旨書かれています。そして、貴方が「その気になれば」100点もとれたし、テニスの試合にも勝てたとの旨書かれています。
つまり、貴方は能力がありながらあえて成果をあげるようなことをしなかったということになりますね。そして、その態度はどうも就職試験の場や現在にまで続いているかのような表現が見受けられました。
そのような状況下にいるというのに、貴方が「何かに打ち込んで第三者に評価されたい」と考えたところで本当にできるのかという問題が発生してしまうのです。
たとえば貴方が例にあげている絵であっても、仮に貴方が絵に打ち込んだとしましょう。しかし、貴方のことですから、あともう少しで「本当は賞をとれるはずだったのにわざと」面倒くさくなって賞を逃すということになり、結果として第三者に評価されることはないという結末に至るのではないかということです。
私が言いたいことは何かというと、厳しい表現ですが、現在の貴方の態度が本当のものならば、貴方が何に打ち込んだところで成果をあげることはないということです。
しかし、同時に私が思うことですが、貴方は本当にその気になれば成果をあげられるような力があったと思いますか? 昔のことにしても今の能力ではなく、当時の能力を基準にして謙虚になって考え直して下さい。
もし現在のままだと、そのうち「頑張れば東大に入れたが面倒になったからやめた」「頑張ればもっと給料のいい会社に入れたが面倒になったからやめた」「頑張ればもっといい相手と結婚できたが面度になったからやめた」と続いてしまいます。
すなわち、「本当はできたはずなのに面倒だったから成果をあげなかった」ということをたてにして、自分を正当化してしまう人生が続くのではないかと思いますね。
何でもいいです。卒論をあげているので、卒論で試してみてください。貴方が「本当はもっといいものを書けたはずなのに面倒になったからやめた」と言わなくてすむほど打ち込んでみてはいかがでしょうか?
ただし、その間に「面倒になった」となってしまっては、私が指摘したような人生を迎えることになるのではないかと思いますね。
厳しくなりましたが以上です。
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