|
▼明るい未来をさん:
皆様、色々とご意見を本当に有り難う御座います。
年半ばから、現在にかけて、弟の離婚問題が起きていまして、私と母は心を痛めていました。
その問題は、弟の嫁に対しての暴力から始まった離婚問題でした。
その弟の問題が発生してから、すでに半年以上経っております。
そのことと、私の就職難などの問題が重なり、母は心を病んでしまったのかも知れません。
そのことに気が付かないでいた私自身も、40歳になろうとしているのに情けなく思います。
私も含め、母も心が疲れていたのかも知れません。
だから母は自由になりたいと!
学生時の頃の出来事も私の記憶から思い起こして色々考えました。
当時、片親の人間はなかなか希望大学に行くことが出来ない時代でもありました関係で、私も浪人してまで、合計20校くらいですが大学受験を頑張ってしていましたが、父親がいないことを理由に面接で落ちてしまっていました。
結局、受験費用も払えなくなってしまい、大学は諦めて専門学校へ通うようになりました。
母は、当時、それをとても悔やんでおりました。
恐らく、私を置いて引っ越してしまった背景には、そのことが大きな理由になっているのでは?と考えました。
その後、専門学校も無事卒業し、希望の職業に就くことも出来ましたが、就いてすぐ会社がつぶれてしまいました。
その後、職を転々としていました。
そのうち、バブルが弾け、クビや倒産、会社の縮小と言うめにあい、同じ会社に5年以上入ることが出来たことがありません。
直前まで、働いていた会社も、社員縮小でリストラです。
今年は、私ら親子にとって本当に辛い年でした。
そんなことが母をまた苦しめていたのでしょう。
母が、心を病んでいるかも知れないと言うことにもっと早く気付くべきでした。
私も、甘えていたのかも知れません。
甘えていたから、そのことに気が付かなかったのかも知れませんね。
皆様にご意見や感想を頂き、過去を思い起こすこともでき、やっと気付く事が出来たように思います。
これからは、母の口から出てくる言葉は相変わらず、とてもキツイ言葉ですが、母は老いていることもあり、そう言う言葉しか出すことが出来ないんだ、と思うようにし、今まで以上に広い心を持つように私も心がけ、愛情を持ち母と接して行きたいと思います。
一時期は、私は母の、この家を売り、老人ホームに入るということを言われてからは、やはり私もこの家を出て行かざるを得ない、と考えてもいましたが、それは止めることにしました。
母へも、出来る限り私を信じてもらえるよう、言葉で説得をしていくのではなく、愛情の行動で接し、説得していくようして行こうと思います。
そうするには、私は早く仕事を見つけ、嫁さんをもらい、安定した家族を持つことだと判断しました。
いろいろ、有り難う御座いました。
また、何か辛いことが起きましたら、その時は、こちらの掲示板に書かせて頂こうと思っておりますので、宜しくお願い致します。
|
|