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▼めぐみさん:
>≪厳しい意見はご遠慮ください≫
>
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>ユダの心情の判る方 詳しく教えて下さい。
>
>宜しくお願いします。。。
私は「ユダの心情」が「判る」とは言えませんが、想像はできると思っています。それは、自分の命を賭けるほど尊敬していた人を、その夢やぶれて裏切る時が迫っている時の、大きな葛藤でしょう。
でも、イエスは、「あなたのしなければならないことをしなさい」と優しく言ったそうですね。イエスの心情は、ユダがこれからするだろうことが、どんなことであったとしても、それを「許す」心情でしょう。
私のユダ解釈は、人類の救いのためにイエスの十字架の犠牲と復活が不可欠だったとすると、ユダの存在とその「裏切り」と言われる行動は、「人類の救い」のために不可欠の行動だったのだと思うのです。そういう意味では、「人類の救い」のために、イエスに選ばれた(?)共同作業者だと感じます。新約聖書最大の悪人のように扱われていることは、ユダの栄光のようにも感じます。大悪人として扱われ続けてはいるけれど、今、ユダが存在しているとすれば、自分の行動の結果に満足しているでしょうし、イエスと二人で昔話を楽しく語らっているだろうと思います。
その反面、ユダを大悪人にしてしまった新約聖書についても、人としての単純な解釈と感情から考えると、それも仕方がなかったのだろうとも思います。ユダも、そういう扱いを充分に受け入れて、納得しているでしょう。ただし、イエスが前もって受け入れ許した行為を、私達も、受け入れ赦すことを学ばなければならないだろうとも思います。
ユダ自身は、最後の晩餐では、心の葛藤のために、食べ物もろくに食べられないような状態だったろうと想像します。
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