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▼エメラルドさん:
>≪厳しい意見もお願いします≫
>≪男性≫
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>卵から生まれるはずのニワトリと
>
>ニワトリから生まれるはずの卵は
>
>どっちが先に存在したんでしょう?
>
「卵から生まれるはずのニワトリ」の場合は、「卵が先」ですが、
「ニワトリから生まれるはずの卵」の場合は、「ニワトリが先」です。
「ニワトリとニワトリの卵」の比較であれば、「ニワトリが先」です。
「ニワトリの卵」は、「ニワトリ」があることを前提にしているからです。
進化論を前提にするとして、単に「ニワトリと卵はどっちが先?」であれば、「卵が先」です。魚類も虫類も両生類も爬虫類も、哺乳類以外は「卵」だからです。「ニワトリ」に進化する以前に「卵」があったことは確かでしょう。
進化論を否定した「神による創造」論を前提にすると、「ニワトリの卵」も、創造された「ニワトリ」の一形態なので、「ニワトリ」と「ニワトリの卵」を分けて比較する考え自体が矛盾です。
実は、進化論であっても、「ニワトリ」と「ニワトリの卵」を別けて考える考え方はありません。やはり「ニワトリの卵」も「ニワトリ」の一形態に過ぎないからです。自然界では「とんびが鷹を産む」ことはないのです。
「現存する猿をイメージして、人間の祖先は猿だ」と言う進化論支持者の知能程度と「じゃあ、人間になる猿を一緒に観察しようではないか」と言う創造論支持者の知能程度は、多分、同じ程度なのだろうと思います。
人間が進化の最先端だと判断するのは、人間の勝手な解釈だろうと思います。私が住むところでは、ハチドリをよく見かけますが、私とハチドリのどちらが進化的に進んでいるかを問うのは愚問のように感じます。前後左右上下に自由自在のスピードで飛ぶことができ、空中で止まることもできるハチドリには、その分野では、人間は比較のしようもありません。
進化論か創造論かの論戦で一番楽なのは、「宇宙の始まりから今の瞬間まで、すべては神の創造だ。進化論という仮説が完全に証明されるとしても、それは神の創造がそうだったということ」という「創造論」だろうと思います。それは「科学的アプローチ」ではありませんし、自主的な知的探求を放棄したことになりますが。
私は、個人的には、親子丼を食べるときに最初に意識して食べるのは「鶏肉」よりも「玉子とご飯」の方だから、強いて言えば「卵が先」でしょうね。「鶏肉」はその次です。
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