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▼シェリングさん:
>≪厳しい意見はご遠慮ください≫
>≪女性≫
>≪30代≫
>こんにちは・シェリングと申します。
>
>この前の土曜日の出来事です。
>私は名前ばかりのクリスチャンなので・教会の定期集会には参加していません。
>ですが「クリスチャン以外の子供達」を対象にした行事が夏休みとクリスマスにあって、その行事関係だけお手伝いをしています。
>
>本番にはマイク・ライト等の放送関係の機材が必要になります。
>特殊な機材である為、利用するには「機材利用届」の提出がルールになっていますが・その「利用届」が放送担当者に渡っていなかったのです。きちんと必要機材の種類と数のメモを渡して「リハーサル前までには提出して下さい」とお願いしたのにです。リハの時には「このセクションは毎度の事だから・・」と溜息を付かれながらも、必要機材を用意して頂きました。
>
>私はスタッフに「前もってお願いしてあったのに何故ですか?」と聞いたら
>「別にイイじゃない。支障が無かったんだから」と言われた挙句に「神様にお祈りしていれば・御心に沿って必要な物は与えられるのよ」とバッサリ斬られました。
>念の為・今日確認を取ってみたら「まだ出ていないよ」と言われて、ドッと疲れてしまいました。
>
>信仰と守らなければならないルールは別なのではないか?と思うのです。
>皆様の考えを聞かせて下さい。よろしくお願いいたします。
>乱筆・乱文で申し訳ありません。
宗教自体のことは私には良くわかりませんが、理念の奥深さは何となくわかるので、そのスタッフさんの言わんとすることはわかります。
何をやるにも、苦労は伴うものです。
ルールを守ること然り、ルールを破った(破られた)がために走り回ること然り。
しかし、どんな場合においても目的が果たされれば、それは成功となるわけです。
簡単に言えば、「終わりよければ全て好し」につながる訳です。
結果を見てよしとするのが(多分)キリスト教の教え、経過を見て納得いかないのが人間のマイナスの理性なのではないでしょうか。
とりあえず終わったことはあまり気にしないほうがいいですし、まだ先が続くなら(自分が関わるなら)何か策を考えてみるのが前向きな姿勢だと思いますよ。
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