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totoさん、はじめまして
「なぐさめの哲学」の哲学ですか?
確かにそういう側面もあるのかもしれませんね。
報われない人、全ての人に訪れる死に対する恐怖などに対するなぐさみですか・・・
面白い解釈ですね。僕には、思いつかない考えです。興味深いですね。
僕は、元々自然の驚異に対する畏怖の念が、始まりだったのではないかと思います。
今は科学的に証明できることでも昔の人々は、何故地震が起こるのか、嵐が来るのか、火山が噴火するのかなど自然現象を恐怖の対象と考え、植物の実が実ることも含め食物が手に入ること、そして、それらの自然の恵みに対する感謝の念が、具現化したものが神ではないかと考えています。
自分たちに自然の恵みがあるように、自然の恐怖が襲って来ないように祈るようになっていったのだと思います。
しかし、その思いは、より良い生活をしたいと考えるようになっていき、少しずつその姿を変え、自分たちに都合の良い解釈をするようになっていったのではないでしょうか?
祈りを捧げる人の言う通りになると、人々はその人物を頼るようになり、宗教団体の元になるものができていったんだと思います。
その中で様々な解釈をする人間がいたため、数々の宗派が生まれていったのではないでしょうか?
その内に自然という神にすがっていただけの人々の中にtotoさんの仰るような人が現れ、死の恐怖からも逃れたいと考えるようになったのではないかと思うんです。
そして、それは神の世界に近づいていくという考えに至り、理想社会を考えるに至ったのだと思います。
確かにtotoさんの仰るように「なぐさめの哲学」の側面を持っているのかもしれませんね。
勉強になりました。ありがとうございます。
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