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▼マイナスドライバーさん:
>≪厳しい意見もお願いします≫
>≪男性≫
>≪10〜15歳≫
>高校生をやっていますマイナスドライバーです。
>
>現在の教育では小中高大と学校に行きますが、
>俺も含めて金がないから大学にいくのをあきらめるひとがよくいます。
>なんでお金が無いと勉強できないでしょう。
>
>もちろん昔からお金のある階級の人しか勉強できなかったし
>今でも貧しい国の子供は教育ができませんが
>
>なぜ勉強するのにお金がいるんでしょうか?
>もし貧乏な家のこが未来の大発明をする頭脳を持っているかもしれないのに
>どうにかならないんでしょうか?
>
>ちょっと自分の状況を悲観してみました。
>なにか書いてもらえれば幸いです。
そのように感じた人々が、人工的に「平等」な社会を作ろうとして、将来的な「共産社会」を目指して、社会主義政権を作り「〜人民共和国」と呼ばれるような国を作りました。20世紀の前半から中期に掛けてのことでした。
それらの国では、教育は無料で国家がすべてを管理していました。小さい頃から、個々の個別能力を教育する側が判断し、英才教育を進めました。資本主義国に比べると、国家自体が貧しく、貧しさにおいてすべての国民は平等だったので、教育の機会も均等でしたが、国家に「優秀」だと認められれば、生活も国家に保障されて恵まれた生活もできました。
ところが、そういう国家を管理するのは、一党独裁で、独裁政党の考えや教えに従順でなければ、生活の保障も剥奪される状況だったのです。経済的にも、貧しさで平等だったので、豊かな生活ができるのは、独裁政党の幹部に限られていたのです。
20世紀の初頭にロシアで社会主義革命によって社会主義国家が成立してから、東欧と呼ばれる地域の国のほとんどが社会主義国になり、アジアでも中国や北ベトナムや北朝鮮などが社会主義国家になりました。
20世紀の末の80年代から90年代に掛けて、東欧と呼ばれる地域の社会主義国家は経済的に立ち行かなくなって内部崩壊し、その結果、国家管理の社会主義を捨てて資本主義的経済を採用して一党独裁を終了しました。他のいわゆる先進諸国のような自由競争社会にしようとして努力しているところです。
その結果として、ヨーロッパ連合が現実化してきているのです。
社会主義国家の「平等社会」でも英才教育を受けるには、目立たなければなりません。人の能力の可能性というものは、外に表れなければ誰も気が付くことはありません。それは政治体制の如何を問いません。
自分が優秀であると感じるなら、その優秀さが周囲に認識されるようにアピールしなければならないのです。周囲の人々が敏感であるのなら、自分のアピール能力が比較的低くても周囲が気付くでしょうが、周囲の人々が鈍感であるのなら、自分から周囲にアピールするしかありません。何の能力でもそうでしょう。明らかに特殊能力に恵まれているなら、周囲も放っとかないでしょう。何とか高等教育を受けさせようとするでしょうし、それが可能になる手を考えるでしょう。
貧しさで諦めるのは、本人の意思だと思います。諦めるかどうかは、本人の判断だからです。少なくとも、自分の将来は自分が決めるという意思が強ければ、諦めるという選択は無いだろうと思います。「言い訳」はしないことです。意志の強さも、アピール力の強さも、困難を克服する工夫をする能力も、自分自身ができることです。「諦める」ことも自分がすることです。
きつくなるかも知れませんが、事実は、社会のせいにするのも、家族のせいにするのも、両親のせいにするのも、「逃げ」であり、実際には自分の将来は自分で決めているのです。
実際には、今の社会の制度の中でも、学歴だけでもないのです。能力が非凡であれば、企業に入ってからも、企業の費用負担で学校教育に戻る人もいます。高卒で町工場に入社して、技能オリンピックで金メダルをとることも可能なようですし、そういう優秀な技術があれば、企業内でも認められ、高級処遇を受けることも可能でしょう。他企業に引き抜かれるかも知れません。
自分の将来を決めるのは自分自身です。「諦める」のも自分自身です。社会のせいにするかどうかも自分自身のことです。
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