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紗羽さん、こんばんは
>本当の私は、とても汚い人間なんです。
>顔が醜い、とかではなく、心が汚い、思いやりのない、冷たい人間で、自分勝手で、わがままで、他人の迷惑を考えているふりをしながら、結局は自分のことしか考えていない、最低の人間なんです。
本当に紗羽さんがそういう人なら、自分のことをそう感じることはできないように思います。体温と気温の差があって温かさや冷たさを感じるように、本当の紗羽さんがそうではないから、自分を汚いと感じてしまうのではないでしょうか。
紗羽さんが素の自分だと思っているのは、本当の紗羽さんではなくて、演じている紗羽さんでもなくて、紗羽さんの「心の習慣」ではないでしょうか?
無理に別の人を演じずに、習慣通りの心で生きるのは「楽」なことですが、
それを「汚い」と感じる自分がいるということは、その奥に本当の自分がいる証拠だと僕は思います。
頑固な癖を直すのに時間と労力がかかるように、習慣の心は自己愛を強くもっていて、変化を極端に嫌いますので、それを変えるには忍耐が必要です。
習慣の心は「楽しさ」をもたらしますが、それは「苦しさ」と表裏一体です。
本当の心は、「幸せ」をもたらします。
楽しさと苦しさよりも、幸せを感じてみるようにしてみると、
本当の自分が見えてくるのではないでしょうか?
抽象的な言い方で分かりにくくてごめんなさい。
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