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ありがとうございます。
>ただ、自分が接する人全てに「理屈」をふりかざしたら、それはきっと「うざ
>い」
そうですね・・・。
>私の場合は、本当に仲良くなりたい人や、自分を知ってもらいたいと思える人に
>しか、「理屈っぽさ」は出さないようにしています。「理屈っぽい」って、良く
>言うと、ものごとを深く、理路整然と考えることができるってことですよね。だか
>ら、深いつきあいをしたいと思う人には、自分が思っていることはしっかりとし
>たいし、聞いてもらいたいと思います。もし、それで「コイツ、理屈っぽくてざ
>い」と思われたら、それはその人とは縁がなかったと思ってあきらめます。(の
>人でも女の人でも)
>逆に、自分が大切にしたいと思う人たちが理屈っぽくても、私は「ちゃんと話し
>てくれて嬉しいな」とか「この人とは深い話ができるな」というように感じて嬉
>しく思います。
私も殆ど同じことを考えています。
>でも、ふつうにつきあう程度だったら、私は何も話さなかったり、終始聞き役に回ります。
話が中途半端になりませんか?
それも我慢したほうがいいのでしょうか。
>このように、人つきあいのバランスを考えて、自分を出していくのも大切ではないかな?と思います。。
バランスですか・・・。
>長くなってしまい、わかりにくかったらごめんなさい!
いえいえ。
>でも、なにも考えないとか、考えを口にできないよりは、少しは理屈っぽいほう
>がいいと思うのは私だけでしょうか??
私も理屈っぽいほうがいいと思います。
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