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▼破戒僧さん:
その話を用いるとしても、目的如何だと思うのですね。
破戒僧さんの疑念と私の疑念は一致しますよ。例えば
「死にたい」と苦痛をうち明ける人に対して、「死んだら
彷徨うことになる」「死んでも永遠に苦しみ続けるだけ」
「自縛霊になる」という一連の言葉の意味は、否定です
よね。つまり相談者が感じている現実の苦痛に対して、
否定をぶつける、つまり「それは間違っている」という
対応です。「生きていればいいことある」というのも
実は同じです。相談者にとって「死」という言葉が何を
表しているのか、読みとれない人は、えてしてそういう
レスをしてしまうのは、これはレスする側の資質です
ので、広くいろんな人が自由に書き込む掲示板では、
いたしかたないことかなと思います。ただ、私はそれを
しません。死後の説明(できないけども)したって、
相談者は今、生きているのですから。
>また、逆に霊や死後の世界の事で悩む人にまったく別の話をすることに対してどう思いますか?
かつては、私自身、そういった問題にとりつかれていたこと
もありますが、霊や死後の世界の話は、生きている人が自由に
決めていいんではないかと思います。わからないんだもの。
私の周りにもたくさんそういう人がいます。「すいません、
お葬式が出た家のそばにいくと、亡くなった人が私についてきて
離れないんです。どうしたらいいでしょうか」なんて日常茶飯事に
相談に来ます。その人にとっては確かに真実なわけですので、
「苦しいですか?」「いえ、別に苦しくはないのですけども」
「そうですか、では、その亡くなった人と話ができますか?」
「それはできないんです」「ちょっと声をかけてみたらいかが?」
なんてやりとりはしますよ。「それは強迫妄想です!病院へ
どうぞ!」と言っても、あまり意味がないのは、上記で
書いたことと同じで、その人の話を聞く姿勢をまずみせる、
その人の土俵でまずは一緒に考えてみるといったことが
大切なのではないかと思います。
いずれにしても、相談の場で、言いたいことのぶつけ合いでは
なく、提示してみる、一緒に考えてみるのが、双方のために
なると思います。
≪規約同意済み≫
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