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▼ダルさん:
>≪厳しいアドバイスはご遠慮ください≫
>≪男性≫
>≪20代≫
>私にとって目標、意思なんてものは存在しない。
>高校時代、模試で偏差値を上げることで喜びを感じ、優越感に浸っていた。そこに、目標も意思も存在しなかった。偏差値と知名度だけで何となく大学(旧帝の中でも古い大学)を選んだ。学校名には優越感と誇りを持っていた。やりたいことは何も無かった。
そう??その偏差値をあげるって言うのを、人は目標って呼ぶんだと思うんだけど?? 偏差値を上げることで喜びを感じる、その喜びのために偏差値を上げたいと頑張ることを、「意思」ってよぶんだとおもうけど。。。??
>大学に入り、競争という概念が薄れると同時に、無気力になり卒業することだけを考え、それ以外の余計な努力はできる限り排除した。それでも、フリーターや親に依存する人間になりたくなかった。周囲の流れから漏れずに何となく国家試験を受け、就職活動をした。すべて知名度、給与、待遇等だけで選択した。過去の貯金のおかげか、もともとのクレバーさのおかげか、大した努力もせずにすべてに合格した。しかし変わらず、目標も意思も存在しなかった。得たものは何も無かった。自分の成長を感じなかった。
フリーターになりたくないから国家試験を受けた。これを意思と呼びます。
あなたは、ただ、そこにあるものを、「そうは呼びたくない」だけのように見えます。。意思も目標も持っていて、ただ、「達成感」が得られなかっただけじゃないかと。。。だって、そういうの、合格したんだったら、それは成長だもの。
それをそうとは思えない。それが悩みってことですね?
>生きていくのに、目標や意志は必要ではないと思う。しかし、もしその欠けているものがあるのであれば、どれ程人生が楽しいものになるであろうと思う。上で吐露したことはほとんどの人が思っていることなのかも知れない。
必要ですよ。しかもあなたはきちんと持ってるしやり遂げてる。
ただ、達成感がないだけの、ハングリー精神満天の人なんじゃないかと思います。
≪規約同意済み≫
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