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▼くろごちぃさん:
私も若いときは所謂「八方美人」でしたので、お気持ちよくわかります。
例えば、くろごちぃさんは、「誰とでも仲良くしなくてはならない」とか「誰からも好かれる人間でなければならない」とか「良い人間であれば、誰からでも好かれるはずだ」とか、そんな気持ちはありませんでしょうか。
もし、くろごちぃさんの心の中に、「〜ならない」「〜べきだ」「〜はずだ」という気持ちがあるようでしたら、語尾を「〜にこしたことはない」というふうに変えてみてはいかがでしょうか。これは、ご自身だけでなく、他人に対しても、です。
劇的に変化があるわけではありませんが、少しずつご自身の気持ちが解放されていくことはあるだろうと思います。
過去のことを思い出す作業は大切なことだと思います。でも、それは何かのせいにするためではなく、現在のご自身を知るためです。
ぐるぐると彷徨って、もんもんと考え続けることが無駄なことだとは思いません。何故ならば、くろごちぃさんの心の中にある、例えば、怒りとか傷とか、そういったものは、現在はまだ何重ものベールに覆われている状態で、今は少しずつそのベールを剥がす作業をなさっているのだと思います。自分では見たくないものだからこそ、無意識下に追いやっているわけですから、簡単に表面に出てこないのは自然なことだろうと思います。
私は、自分が怒りを抱えているということを自覚してから、その正体がかたちになるまで、10年以上かかったと思います。それまでは、答えなど無いのではないか、と思うほどにもんもんとすることが多かったのですが、あるとき、霧が晴れて視界が開けるように、その正体がかたちになりました。そのときは、肩から重荷をおろしたような気持ちになりました。
しかしながら、だからといって問題が解決したわけではなく、これからも自分を受け入れる作業や、怒りの対象を受け入れる作業が待ち構えていて、これもきっと時間のかかることなのだろうと思います。
くろごちぃさんは、ご自身の問題を自覚なさっているわけですから、既に入り口には入っていらっしゃると思います。どちらかというと、出口を探していらっしゃる状況なのではないかと思います。
「本音の自分を見つめること」というのは、とてもしんどい作業であることがあります。何故ならば、「自分では受け入れたくない自分」もその中に含まれているから、どうしても目を逸らしたくなるのだと思います。従って、そのことで悲観なさったり、ご自身を責める必要はありません。
今は出口が見えないかもしれませんが、出口は必ず用意されています。そして、現在は前進なさっていないように感じられるかもしれませんが、後退をすることはありません。疲れたら、足踏みをし、休まれたら良いのだと思います。
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