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llさん、お返事ありがとうございます。
●人は、本来、「宗教」を必要としていません。
人は本来、宇宙さん(神さま)と、直接、お話しできますから、
「宗教」などという介在物や、「教祖」などという仲介者は、本来、必要としません。
だから、本来はどこの宗教団体にも所属する必要はありません。
◆たとえば、イエスさんも、お釈迦様も、自分がキリスト教や仏教の教祖だなんて、少しも思っていらっしゃいませんよね。
皆さん自身が、自分たちが神さまの子供なんですよ、本来は仏なんですよ、それを思い出しましょうね、とおっしゃっていますよね。☆(^-^*)☆
●でも、心の弱い人は‥‥、実は、人はたいてい、心に弱いものを持っていますが‥‥。
だから、生きていく上での心の指針となるようなものが必要であり、
それが「宗教」であったり、「思想」であったり、「哲学」であったり、「自然科学」であったり、するのでしょうね。
◆で、それらのどれかを信じ込んで、絶対視して依拠したり、すがるようになると、
それがその人にとって「宗教」となるのだと、わたしは思います。
>エゴは人間なら絶対に持っていますよ
>それは絶対に無くなる事はありません
>ただ、宗教というものがそのエゴを正当化してしまうのです
●そのエゴ(小我)の思いを減少させ、自分の意識で調御し、最終的には滅して、
大我=宇宙そのものと1つになることを目指すのが、「本物」の宗教ですよね。
●ところが、「エゴ」に基づく願望を満足させることを謳って、人集めをする宗教も、この世にはたくさん存在します。エゴの強い人は、そういう、ニセものの宗教に惹きつけられていきます。
それらを、自分のエゴに基づく願望を叶えてくれる絶対者とか支援者だと思いこむからでしょうね。
また、「無宗教」の信者も、無宗教こそ絶対だ、と思い込む、絶対者に依拠する一種の宗教です。
この世に、絶対に正しい思想、などというものは存在しません。
良いところを学び、良くない部分は反面教師として学ぶ、という姿勢がいいのだと思います。
あなた自身が、カッカと熱くなっていては、周りの人たちと50歩100歩になってしまって、みんなの頭を冷やすための良い智慧は、浮かびませんよね。
まず、冷静さを取り戻されて、シャープでピュアな頭脳を回復なさることが、大切だと思われます。
そして、何かに必死にすがらなくては、不安で不安で仕方がないという思いの人たちの、不安の大きさや、寂しさや、哀しさが見えてきたら、どうしてあげたらいいのかが自ずと解ってきますよね。
クリシュナより☆(*^-^*)☆
≪規約同意済み≫
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