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▼虚しいさん:
>≪厳しいアドバイスはご遠慮ください≫
>≪女性≫
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人は、まったく同じような状況でも、見方も受け取り方も扱い方もいろいろです。
私は人を雇うために面接をしたことが何度もありますが、そういう時に物事の見方が否定的な人は雇いたくなることはありません。前の仕事を失った状態はまったく同じでも、面接で前の会社を悪く言うような人は雇いたくありません。同じことでも、次へ進むチャンスだと見るような人を雇いたいと思いますし、そうして来ました。今もそういう基準が間違いだったとは思いません。
自分の状態について解釈するのは自分だけです。他人が何を言ったとしても、それは他人の見方で自分の見方ではありません。他人は自分のことを充分に知っている訳ではないから、その限定された情報に基づいたことしか言えるわけがありません。だから言いたい人には言わせておけば良いことでしょう。
それよりも、自分がどういう人間であるかの作成責任者は自分だけです。親は、基本の基本を与えてくれただけでしょう。その基本に基づいてその上にどういう人間を作り上げるかは、自分に掛かっているのだと思います。
劣等感を持っているとすると、その劣等感は他人が押し込んだものではなく、自分が自分の中に作り上げたものです。他人は自分がどういう考え方をするようになったかの最終的な責任はないのです。自分が納得して受け入れなければそんなものは持っていないはずのものです。
社会からの影響も、その影響を受け入れるかどうかは自分の問題でしょう。拒否すれば拒否できることだと思いますし、受けた影響を捨てたければ自分で捨てれば良いことでしょう。
自分磨きは自分を磨くためでしょう。他人を基準にするのではなく自分が成長するためのものでしょう。それを他人からどう見られるかを基準にしたのが失敗だったのではないでしょうか?
私は人の魅力とは、人それぞれだと思います。その人なりの魅力があれば、誰かがその魅力に気付くでしょう。全員に気付かれる必要はないでしょう。誰か一人でも自分の魅力に気付いてくれる人がいれば嬉しいものですし、生き甲斐にもなるでしょう。
恋愛するのは一人でしょうし、結婚するのも一人でしょう。物事をすべて否定的に見ていては、自分の魅力も隠していることになっているのではないかと思います。
今のNHKの朝ドラで、おばあちゃん役の南田洋子の口癖が「生きてるだけでも儲けもの」です。なかなか味わいのある口癖だと思います。ガン摘出手術を体験した私も「生きてるだけでも儲けもの」を実感していますし、この世に生まれてきて、そして今も生きていることだけでも感謝しています。そう実感できれば、鬼に金棒でしょう。
私の友人などは、私のことを見て「俺なら生きていられないな」と言います。ある人の基準から見るとそうなのでしょうが、私は「生きているだけでも儲けもの」だと実感しているので、楽しく幸せに生きています。どんな状態でも人は幸せに生きられるのです。
≪規約同意済み≫
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