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こんなにたくさんご回答承れると思っておりませんで、大変感謝です。
※一発目記事冒頭であいさつ無く唐突に本文に入ってしまい無礼を反省しております。申し訳ありませんでした。※
今でも正直なところ、すっきりした感はありません。
申し訳アリマセン、いっぱいご意見下さったのに・・・・・・・
ただ、今までの生活の中で「人の気持ちを汲み取る」を「必死で考えてあげること」一つと括っていたが故かもしれないです。
「感じる事と考える事の違い」
これがキーワードかもしれない、というのは皆さんのご意見を伺って何となく気付かされました。
結構「一生懸命試行錯誤型」なので感じることに単なる「行き当たりばったり&突発的な勘」的な意味合いを多少もって接してきていた事も今釈然としない理由の中に含むのかも・・・・・・・・・
例えば私、何かに対して実は感じた事があった、かもしれないとき、常にまずほぼ例外なく「そんな思いつき程度の感覚は疑ってかかるべし」と感じる事を強制的にやめてしまって即考える方向にシフト、でも、だけど、でも、を繰り返しようやく言葉や行動・・・・・・・・といった感じだったような気がするんです。どんな内容であっても。
そうしてるうちに「感じる事とは何たるか」の根本的な本質を知らない人になってしまったのかも・・・・・・・感じ癖が余りにも少なかったぶんよけいに「感じる事と考えるって一緒じゃないの?」って風になってるのかしら。よく判らないです・・・・難しいですね。
今はこんな状態ですが少しづつ、今よりも核心に近づける時が来ればとそう思います。完全には無理でしょうが。
どうも有り難うございました。
≪規約同意済み≫
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