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▼一乃さん:
>物騒な犯罪が多いとは言っても、そういう犯罪に遭遇する人は非常に少ないだろうと思います。
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>→これは、違いますね。例をあげますと。電車での痴漢とかはいつもどこかでおきていますし(届出以外も含むと年間凄い数になるようです。)これには金銭的というより精神的に追い詰められている人が多いようです。
私は、「物騒」を人殺しや強盗のような「凶悪犯罪」として理解してしまいましたが、確かに痴漢も「物騒な犯罪」と解釈できるでしょうね。
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>善人が善人でいられるのはただ幸運なだけ、悪人が悪人になってしまうのはやはり不運なだけで。
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>→というのには、同意できませんね。運とか関係なくて人に迷惑をかけないのは人として当たり前のことだし、それが普通にできないのなら人として駄目だと思う。悪人は運が悪いというくだらない理由で正当化しないでくださいね。誤解を招きますよ^^;
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一部だけを引用するのは、ルール違反ではないでしょうか?そこで引用されたことを私が書いたのは、親鸞さんが書いたこととされている言葉に関連した書いたものです。一般的なこととして書いたものではないのは、私のレスを読んだ人にとっては明白ではないでしょうか?
親鸞さんは、「善人が救われるのなら、悪人ならなおの事救われるはずだ」という意味のことを書いています。そこに使われる「善人」と「悪人」について書いたことです。犯罪人について書いたものではありませんし、痴漢をする人について書いたことではありません。
一乃さんは、その親鸞さんの言葉をどう解釈するのでしょうか?それを書いてはどうでしょうか?
≪規約同意済み≫
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