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>結局の所、平均的で多数派のタイプの人格を持つ人たちが善人だと言われているように思います。
ちょっと違うんじゃないでしょうか。
多数の人がやりたがらないことを自分の損得抜きでやった人が善人だって言われるんじゃないでしょうか。
じゃなきゃ多数の人が当たり前のようにやったら、それは特別じゃなく普通の事になるので。
従って
>しかし僕が感じる「平均的な人格、多数派」というのは、正直あまりイメージがよくありません。
という理論は最初から間違っていると思います。
間違った上に何を積み上げても無駄ですよね。
>・集団で群れると調子に乗る。孤独な人を蔑視する。
>・ロクに知りもしない他人のことを、容姿、風貌が変だということで陰口を叩く。
>・内気で不器用なタイプの人を蔑視する。
人々が集まる集団に入ってきて一緒に群れて調子に乗って掲示板で社会の不平不満を次々書いて、言いっぱなしにして返信をしない。考えようともせず同じ事を書くの繰り返すってのは、結局あなたの理論でいけば多数派に属することになるのではないでしょうか。
>はっきり言って二度と顔を見るのも嫌になるような人たちです。
上のような自称少数派な現実多数派の人が、多数派の顔を見るのは嫌となったら、朝顔を洗えなってしまいます。
自分がどういう顔をしているのか死ぬまで拝めないことになります。
>しかし悲しいかな、多数派の人に共通する人格、習性であるように僕には思えます。
つまりどういうことでしょうか?
悲しいかなって自分が悲しいってことですか?
ある人があなたが定義する多数派の行動を取っているのに、自分では多数派じゃないって言っているとすれば、自己矛盾を起していることになります。
>現実的な話、本当に世の中の大多数の人は、善人だと思いますか?
善とか悪って誰が決めるのでしょうか。
自分でしょ。
自分が90度傾いていたら、世の中が傾いて見えて、「あいつら傾いて歩いているよ。変な奴らばかりだ」って思えるでしょ。
>僕には、善人が善人だと評価されているのではなく、多数派、平均的な人格の人が
>善人だと評価されてるように思えてならない。
つまり自分は少数派で、世の中でいうような善人ではないってことですか?
つまり今の価値観でいけばあなたは悪人だって自分で思っているのですか?
例えばどんなところがあくどいと思いますか?
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