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▼ぴのこさん:
>≪厳しいアドバイスはご遠慮ください≫
>≪女性≫
>≪20代≫
>
>急に、全てがどうでもよくなってしまいました。
信じられません。
全てがどうでもよければ、楽になることにも興味がないでしょう。
真面目かどうかも、疲れているかどうかも、休みたいかどうかも、無理しているかどうかも、どうでも良くなったということでしょう。そうであれば、生きることも死ぬこともどうでもよくなったということでしょう。
ところが、ぴのこさんは、かなりこだわりがあるようです。
>毎日仕事も真面目にしていますが、本当はもう疲れていて、休みたいのに
>無理して行っています。
>終わったら、帰ってご飯食べて、寝るだけ。
>頼れる人も、相談出来る人もいないし、ただ、仕事をこなすためだけに生きている
>様な感じです。
どう生きるかは、人それぞれがそうして生きることを選んだ結果でしょう。
朝起きるかどうかも、食事をするかどうかも、トイレに行くかどうかも、家を出るかどうかも、どこに向かって歩き始めるかも、すべて自分の意志でしていることでしょう。
惰性で生きていると感じているとしても、惰性で生きているのは自分の選択です。
惰性ではなく、休日の楽しい過ごし方を計画して、計画どおりに実行する生き方だって、誰でもできることです。楽しい過ごし方を計画して、そして計画を無視して休日を行き当たりばったりに過ごすこともできるでしょう。
すべて自分の選択なのです。
>むなしくなってきました。
>なんで生きてるんだろう。
私は、ガン摘出手術を受けて、化学療法を受けて、髪の毛も体毛も抜けて、気分最悪で、死んだ方がましだと思ったこともあり、自分の意志で化学療法の予定を半分だけでストップしました。それは死にたいと思ったからではなく、気分最悪のままで生きたくも死にたくもなかったからです。
生きるのも死ぬのも、気分爽快でありたいと思ったからでした。
私は、死ぬ時は、生きていて良かったと思いながら、すべての経験に感謝しながら、関わったすべての人達に感謝しながら死ぬしか、死んでも死にきれないと思っています。絶望感や被害者意識や劣等感や無常感のままで、そういう死を自分に課するのは、あまりにも残酷だと感じます。
私の価値を決めるのは私自身です。他人の評価など、私を良く知りもしない人の表面的な評価でしょう。一番大事なのは私自身が私をどう評価するかだと思います。私は私の最後に、私にとっての最高の言葉をプレゼントしてあげたいと思います。私にはそれが相応しいからです。
私にとって大切な人達も納得できるような形で最後の「さよなら」を言いながら逝きたいものです。笑いながら「ああ、面白かった。ああ、幸せだった」と言いながら、関わった人達すべてにお礼を言い感謝しながら逝きたいものです。それが目標です。そのためには、幸せを感じ続けるしかありません。一瞬先のことは誰にも分からないからです。
≪規約同意済み≫
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