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▼さとみさん:
>≪厳しいアドバイスはご遠慮ください≫
>
>
>私は身体障害者施設で介護の仕事をしています。
>月に1度ほど、施設から買い物外出といって、大型ショッピングセンターに
>買い物に出掛けます。
>私もこの間、初めて付き添いとして出掛けたのですが、あまりにも周囲の目が
>好奇なものに感じました。
>
>障害を持った人に対する哀れみの目・・・
>子供を連れた親が、あの人はかわいそうな人だから親切にしてあげなさい。
>と言っているのも聞こえました。
>話しかけてこられる人も中にはいたのですが、やはりどうしても子供言葉で、
>子供に話しかえるように話されるんですね・・・。
>悪気はないのはわかっています。
>だけど・・・
>
>障害を持っていて、不自由な部分は確かに多いです。
>だけど、私達よりはるかに人生経験を重ねられた年配の方です。
>子供ではありません。
>自分でできる事や楽しみを見つけて、毎日を送られています。
>決してかわいそうではありません。
>
>体は不自由でも頭ははっきりしているんです。
>わずかな表情の変化や感情を敏感に察知されます。
>
>どうか障害者に対して変な特別意識を持たないでください。
>見下すような発言や子供言葉を使わないで普通に話しかけてください。
>
>
自分を見つめなおしてみてください
介護で障害者のケアをしていて、この人のケアは嫌だな
とか うわ、可哀想だな と思った事本当に一度もありませんか
ひそひそ話で貴方はその人達の「心」を見たんでしょう。
私はそんな風に見てはいない。障害者もいっぱしの人間、
偏見を持たないで欲しい。
そう思うことは非常に立派な事ですし、
これからも障害者の身になっていろいろ考えて上げて欲しい
ものです
しかし口や体の行いは、全てが心の命令によるもので問題は
その人の「心」 にあります。
ちょうど口や体の行為は火の粉に過ぎず
心の行いは火の元で真に見つめるべきは「心」にあります。
あなた自身がまったく障害者に対し偏見をもったことがないと
いいきれるでしょうか。
私は口には出さなくても心ではいつも偏見を持っています。
しかしこれは障害者もどんな人もまた然り
心で障害者や病人、自分とは異なるものに対して
なんらかの偏見をもっています。
みんな口では「私は嘘をつかない」「嘘をつく人は嫌いだ」
「偏見など持たない」 などといっていますが
心の内はどうですか?
私は嘘で塗り固められています。
例えば面と向かって貴方と話したなら
「分かって居ます。 私は偏見などもっていません」とか
「障害者さんに対して人でないような見方はしていません」
など口ではいっていても
偏見から離れられません。
全ての人はそういう自分自身の色をもっているのです。
相手を傷つけるような偏見は悪い行為ですが
自分自身をそれで省みてください。一生そんな自分をさらけ出せないとしたら
人々は誰も自分の事を本当に分かってあげられることが出来なくなります。
自分をみつめることは他人を見つめることです。
障害者の人もまた偏見と邪見を持った人間である事を知る事です。
誰しもが他人に対して非難を言える立場にない事をお気づきになると存じます。
≪規約同意済み≫
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